2012年10月19日金曜日

石巻市立湊第二小学校、湊中学校

震災の影響で、石巻市では小学校、中学校の統廃合の計画がなされている。
小学校では、43校のうち、10校が間借りし、統廃合の対象となっている。
中学校では、21校のうち、4校が間借りし、統廃合の対象となっている。
写真手前に見える湊中学校は、現校舎をH24年度中に改修することになっているが、付近の解体作業やかさ上げ工事が進まず、難航が予想される。
写真中央に見える湊第二小学校は、湊小学校と統廃合されることが決まっている。しかし湊小学校もH24年度中に改修するだけにとどまり、どれだけ震災に対しての減災があるのかは疑問が残る。
津波避難ビルの構造は、耐震性では安全性が確認されている構造物や、新耐震設計基準(昭和56年度施行)に適合しているものとあるが、この震災を目前にして施行基準は変わらないのが不思議である。
また今回は津波の影響を真面に受けた地区も多いことなどから、想定浸水深も自治体ごとの設定を見直す必要がある。例えば想定浸水深が1m以下で2階建て以上の階数とあるが、これはもはや想定外も論外である。自治体は国の基準に沿うものとしているが、責任は誰が追わなければならないのか、将来は誰のためにあるのか、考えていただきたい。

2012年10月17日水曜日

生き抜くための災害料理43

この程、【縁】別冊 災害料理本 が書店以外でも購読出来ることになりました。
仙台の奥座敷、秋保温泉『岩沼屋』です。
仙台市外から車で30分のアクセスで、こころと身体を癒す、親子・女性にやさしい天然温泉ホテルです。一度は行ってみたいスポットであります。
岩沼屋売店『勿忘草(わすれなぐさ)』のお土産コーナーの真前に置いていただきました。
直接手に取ってご覧いただけます。
岩沼屋の皆さん、ありがとうございました。
ここ『勿忘草』でしか手にはいらないオリジナル商品も多数あり、その他館内施設も魅力的です。
是非、秋保にお立ち寄りの際は、『岩沼屋』に足を運んでください。お願いします。

2012年10月16日火曜日

高橋水産の現状

何もかも流され消失した跡地に、昨年暮れプレハブを建て地元住民の手伝やボランティアの助け
を借りて再建にこぎつけた、高橋水産がある。
工場は三陸の津波の教訓を踏まえ10mの高台にあったが、それでも津波が押し寄せ何もかも奪っ
てしまった。
途方に暮れている中、お客様からの声援が再起を促し、8か月後には出荷が出来るようになった。
ここ三陸で取れるワカメやひじき、とろろ昆布、まつもは絶品である。
遠く関東にも出荷され、お客様の信頼は厚い。
しかしまだまだ震災前の状況には至らず、機械もそろわず手作業の状態だ。
特に今年のひじきは岩場に着きにくく、あまり多くは取れていない。また湯がいて自然に乾燥さ
せるので、時間も手間暇もかかる。
年内には出荷できるというが、『三陸の美味しい食べ物をお客様へ真心を込めて届けていきたい
』と語っている。

2012年10月11日木曜日

雄勝町雄勝地区

石巻市駅前から東北東に直線で約15kmに位置したところにある。
国の重要無形民俗文化財でもある法印神楽や、雄勝硯でも有名な黒色粘板岩(玄昌石)の産地でもある。
人口は震災前は4500人ほどいたが、亡くなった方や市中心部の親戚や知人に移り住むなどで、1500人まで減少した。
ここ雄勝小学校は、廃墟と化してしまった。
全校生徒が100人足らずの学校ではあったが、海があり、山があり、活発な子供たちが遊んでいく情景が浮かぶ。
夏にはおがつ夏祭りがあり、大人たちと遊び駆けずり回り、町民一体で盛り上がっていた。
まだ進まぬ代替え地の問題、仮設住居の空の問題、漁業の問題など山積みである。
故郷を離れなければならないことは辛いことだが、子どもたちの責任ではない。
大人たちが、街を再生するための問題を解決していかなければならない。
自治体や専門家でつくる協議会での整備計画では過疎化が進む一方である。地区住民との意見の吸い上げが何より必要である。

2012年10月10日水曜日

朝臣宮(あそみのみや)

北上川河川敷を歩くと一際目立った鳥居があった。
後醍醐天皇の子、護良親王(もりよししんのう)が牡鹿に着いた時その護衛にあたった日下氏・日野氏・平塚氏等忠臣の家を祀った神社といわれている。
津波で全てが流失してしまったが、地区住民の力でここまで復旧した。
大門崎には一皇子神社や、零羊崎神社(牧山神社)があるが、正直何度も足を運んでいても分からなかった。
西暦1300年代この場所は『御所浦』と呼ばれていたが、今では町名は「湊町」になっている。
牧山神社に行く途中に、「御所の入」という地名が今もあるが、その名残であろう。
ここもかさ上げの対象地区となっている。

2012年10月9日火曜日

ススキ

がれき撤去後の荒廃した地域に、ススキが生い茂っていた。
今年の猛暑の夏からは一変して秋がやってきたようである。
秋の澄みきった空に生えるススキは、少しものさびしい感じがする。
至る所に生え、いつもお辞儀をしているようで悲しい。
この辺り一帯には、雑草が一面に生い茂り、草刈りも大変だ。
ボランティアが中心に除去しているところもあれば、お爺さんお婆さんがせっせと草刈り鎌をもって後片付けをしているところもある。
ここで生きるか第二の土地で生きるかは、それぞれの判断ではあるが、長年住み慣れた土地や住居を離れるのは誰しもが辛いことだ。
秋の夜長にお月を眺めると、ふと目頭が熱くなってしまう。