2013年4月11日木曜日

災害時一時避難場所

 石巻市吉野町で県営石巻吉野住宅脇に掲げられている避難の看板。
 石巻女川海道(国道398号線)を走ると左側(山沿い)にある。
 この辺りを歩くと、他避難看板は見られないが、当然ながら住民には避難場所は周知されている。
 石巻女川海道より山沿いエリアには逃げ込む場所や高台はあるが、道路より北上川沿いや海沿いにはあまりない。
 昨年暮れに魚町の大興水産が避難所指定(最大1000人収容)の認可を受けたが、魚町エリアの方々が避難するところで、住民は「ほたる会館」くらいである。
 湊にある「みなと荘」も一時避難場所としてあるが、本年取り壊し移転することが決まっている。
 昨年暮れに起きた津波警報で避難できた人数は、わずかである。残り10分でどれだけの住民が避難できたのであろうか。時間がない状況での避難は、地区住民にとっても不安である。
 いつ起きるともしれない地震や災害に、即対処できるよう公設避難場所の着工を強く望む。

2013年4月10日水曜日

瑞巌寺

 国宝 瑞巌寺。誰でもが知る日本三景の一つ、松島にある「伊達正宗公」ゆかりの場所である。
 平成21年から始まった本堂の大修理が今なお続いているが、改修現場を見ることが出来るとあって、それは迫力満点である。
 以前は明治・昭和と一部改修があったが、今回のような大規模な改修は今までにはなく、想像以上に歴史を垣間見ることが出来る。
 本堂は4階まで特設階段を上るが、要所にはパネルが設置しており、解体作業の詳しい解説が記されてある。また庫裡には、本来本堂に安置している御本尊、藩祖正宗公や2代忠宗公の大位牌、三大開山木像が大書院にて特別に公開されている。
 公になったのは初めての事とあって、この文化的な歴史は必見である。
 庫裡案内係によると、文化庁から3月に写真撮影の許可が下り、一般の方でも撮影できるようになったという。
 是非この機会を見過ごすことのないようデスティネーション・キャンペーン期間に足を運んでいただきたい。
 本紙【縁】第4号に掲載。

瑞巌寺
http://www.zuiganji.or.jp/index.html
 

2013年4月9日火曜日

雄勝町大浜漁港

 漁港一帯ががれきで散乱していたが、ここまで撤去され整備された。しかし1mも地盤沈下した状況は変わらず、盛り土をしての応急処置で再開している現状である。
 ここでは数名の漁師が再開したが、まだ震災前にも満たない状況が続いている。鮭や牡蠣、帆立、わかめなどの養殖や、近海に出ての漁で生計をしているが、遠方にある仮設住宅から現場まで通うのは何よりも辛いものがある。
 漁が出来ることが、そのまま漁業の再建や生活の再建まで出来ているかというと決してそうではない。県や市からの助成金を受けても、道具一式でお金は消えてしまう。更に借金が増えてしまう現状で、何よりも生活が持たない。
 水産加工会社の再開は、確かに増えつつある。しかし継続できる加工会社はどれだけあるのだろうか?
 しきりに東京の会社とタッグを組み、動いているところもあるが、小企業のところは目も当ててくれない。
 ブランド化というが、横一線の並びで特化したものもなく、どうしても「資金難、廃業」と頭をよぎってしまう。
 これからも長く続く復旧・復興。
 風化させず、情報を発信続けていきたい。


2013年4月8日月曜日

解体作業を待つ住宅

 昨年末までに行政が震災の影響で半壊もしくは全壊住戸の解体を申請させた。この番号が、解体許可が下りた住宅である。
 年度末までには解体終了予定であったが、まだ沿岸部では許可番号が下りていない地区もあり、今年度まで長引きそうな感じがする。
 復旧・復興にあたり、行政はごてごてしており、住民感情が穏やかではない。
 この家の持ち主も、3月には解体できると言っていたが、5月までかかりそうと連絡がかかってきた。この辺りではアスベスト問題があり、業者の指名競争入札にも相当影響が出てきている。その上、家屋に人が住んでいないことから、ネズミの発生が著しく、衛生管理面での問題が生じてきている。
 行政は人員不足があり、入札の不調といったところまで影響し思うように着手できていないとしているが、住民側は待ってはくれない。
 より復旧・復興の度合いを上げなければ、計画で終わっ
てしまう恐れがある。
 国の整備計画は10年だ。丸2年が過ぎ残りはあと8年。
 是非計画を守っていただきたい。

2013年4月7日日曜日

石巻市の入札結果を見る

 入札の不調や中止があり、復旧・復興関連が進んでいないとういうことから、石巻市の入札結果の公示をダウンロードし、検証してみた。
 H23年度の入札金額は、 3,906百万円。件数は、234件、中止・不調が 50件、割合が21.37%。
 H24年度の入札金額は、 23,582百万円。件数は、504件、中止・不調が198件、割合が39.29%。
であった。
 H23年度は、道路・橋梁関連と調査・測量業務関連が先行し着工した。漁港関連は震災年ということもあり、動きが大分鈍かった。その調査・測量業務関連が進行し、H24年度は各関連業務の着工が一気に動いたと推測する。
 昨年度と比べ、調査・測量業務関連も多く、H25年度・H26年度と着工件数が増えるとともに、住民への不安が解消するものと思われる。ただし、入札結果の不調の割合が増えてているだけに、早期着工・早期引き渡しが可能なのか疑問視するところがある。
 安心・安全なまちづくりを早く進めるためにも、行政は規制の緩和策を第二弾、第三弾と打ち出してほしい限りである。
そ して住民の不安を解消し、普通の生活が出来るよう望みたい。

2013年4月6日土曜日

石巻市の災害公営住宅

 元日赤病院跡地に建てられる整備された災害公営住宅地である。広大な敷地に158戸の共同住宅が作られるが、着工予定が2013年10月、完了予定が2015年3月である。
 石巻市は4000戸の整備計画を打ち出している。
 蛇田地区は700戸から850戸、中心地区は510戸から760戸と旧整備計画よりも大幅に戸数を増やしている。では他の地区はどうなのかと思い調べてみた。そうすると牡鹿地区は550戸から240戸、雄勝地区は250戸から160戸と極端に減少している。
 アンケート調査を受けての結果のようだが、どうしても津波が来なかった地区や買い物などに便利な地区に移り住みたいという住民の意向があるようだ。
 震災から丸2年が過ぎ、最終的に災害公営住宅の完了が2018年までかかってしまう。それまで当然仮設住宅などに入居し続けなければならないのは、大変つらいことである。
 蛇田はベットタウンとして、石巻バイパスが完了してから栄えてきたところであるが、更にニュータウンとして再開発もされてくるだろう。
 一方中心地区や半島地区は、震災の影響や郊外へのニュータウンの影響で更に人口が流失してしまう恐れがある。
 萬画館で街おこしするのも継続が難しく、他の対策もいまだにない状況だ。
 この時だからこそ次の一手二手が必要になってくる。あらゆる方面に目を向け、耳を傾け、行政と住民のコラボで街の活性化を進めて行く必要がある。

2013年4月4日木曜日

湊水産

 「愛情たらこのみなと」で知られる湊水産。
 石巻市吉野町でいち早く再開した企業だ。
 震災当時は、焼きたらこを避難所や自宅2階に避難しているところを回り、ありったけの具材を差し入れた。
 住民は「ありがとうございます」と何度も感謝の言葉を口にしたという。その気持ちが社員一同を再開までこぎ着けた賜物でなかったのではなかろうか。
 夕方になるとご近所の方が立ち寄り購入する光景をみると、何とも懐かしい限りである。
 今ではスーパーが町の起点となり、夜遅くまで開店し、何でもそろっている便利なところとしてあるが、決してそうではない。愛情がたっぷりと入っているこころの贈り物には絶対に太刀打ちできないものがあるのだ。
 日本全国で支援しようとして立ち上がった「絆」のプロジェクト。
 絶対に風化させず、継続して被災地を支援していただきたい。またその繋がりを大切に支援の輪を広げていただきたい。

湊水産
http://www.rakuten.ne.jp/gold/minato-s/

2013年4月3日水曜日

ヤマユ佐勇水産

 日和大橋を下り女川方面に行くと、橋を越えて300m左手にヤマユ佐勇水産の新社屋がある。
 車を走るたび目にする看板だが、佐賀県の書道家で吉田真紀さんが一筆した文字看板である。正面には「いまからここから」が、行く手には「心ひとつに」、帰りには「ありがとう」が書かれているのが見える。
 見知らぬドライバーからも「いいね!」という言葉が返ってくるそうだ。
 家族2人と、中国人社員3人できりもみしていて、実に忙しい毎日だ。
 「いろんな方から励ましの電話や手紙が来て、それがほんとうれしいし、それが励みで頑張らなくちゃねと思います」と奥様が語っている。
 社長は仕入れた魚を手際よくさばき、後工程にまわす。秘伝のみりん漬けや糠漬けがあり、ここでの一番は、銀タラのみりん漬けとほっけのみりん漬けである。
 特に銀タラのみりん漬けは、程良い味付けで何やらチーズの味らしきするが、社長は秘伝とあって、絶対に口にしない。企業秘密なのだ。
 ヤマユ佐勇水産は3月から新社屋で営業としていたが、自宅兼工場でまだ作業している状況だ。
 その原因は、市が発注している家屋等解体の入札が遅れ、5月まで待ってほしいとの打診が来たのだ。しかも市は解体業者の作業を1ヶ月とみなしているため、相当な時間も要している。これでは全然前には進まない状況がわかるであろう。
 しかも解体は順番待ちで、時期も大よそでしかわからない。5月には新社屋で再開できるか、まだ定かではない。
 
ヤマユ佐勇水産
http://www.enishi-miyagi.com/fukko-shop/yamayu/

2013年4月2日火曜日

湊小学校へ避難

 昨年12月7日金曜日夕方に起きた三陸沖の地震で津波警報が発令された。鮎川では1mの潮位を観測したが、幸いにして被害は伴わなかった。
 石巻市北上川河口付近には、「あと10分で津波が来るぞ!」と警報やアナウンスが流れ、沿岸住民は一目散に避難した。
 たった10分で何処に逃げるのかといえば、近くの避難上の屋上とか高台に避難することだが、生憎高台に行く道路は渋滞した。
 その原因は、減災のための道路が全く整備されていない状況や、新車を購入し津波が来てダメになれば3重のローンが発生するという事、時間が全くなかった事もあり、道路が渋滞し避難できない状況にあった。
 また避難所に逃げ込む手があったが、石巻女川海道より沿岸部では避難所指定場所がなく、逃げ込み場所としたら、3.11の際の当時の避難所だった。
 しかし避難場所指定の小学校は、1階全てが入ることが出来ずの状況だった。湊小学校の場合は、写真を見ての通り1階窓の部分は木材で遮断され、非常口も鍵が掛けられている状況で、一切建物内には入ることが出来ない。
 万が一に備えて近隣数名に鍵を渡していたというが、皆外出中で全く機能していなかった。当時は何人もの住民が駆け込んだが、鍵が閉まっていて断念し、裏山に逃げ込んだという状況
だ。
 湊小は湊第二小を統合し平成26年4月から授業を再開するとしているが、昨年は平成25年4月か
らとしていた。しかし授業再開までの期間に何が起きるか分からない。また同じように避難しなければならないことが起きた際、何処に避難するのだろうか。
 100年に1度だから?1000年に1度だから?ということはもう論外である。
 命を守ることが第一である。

2013年4月1日月曜日

雄勝町石神社

 先日、実家の地名の由来を聞きに行こうと、葉山神社 石神社(いそのじんじゃ)の千葉宮司さんに会ってきた。
雄勝町の地名は、名振、大須、大浜、尾浦などあるが、よくよく聞いてみると、こういういわれでその名がついたのかと驚く次第である。
石神社は、山岳修験者の霊場として石峰山山頂に鎮め奉られている。社伝によれば、およそ1800年前(神功皇后の時代)の創祀とされ御祭神は交通の安全を守る海の女神である宗像三女神の端津姫命(たぎつひめのみこと)を祀り、海上交通の発展により金華山と共に南三陸の漁場を守護し漁師らに信仰されてきた。参拝道には数々の伝説の地が今なお残され、文献が一時津波で流失したが大事には至らず、東北大学で調査・研究されている。
 帰り道、境内高台の木々が生い茂るところから大浜湾を望んだが、そこの土手には少し遅咲きのふきのとうが生い茂っていた。
 浜付近は、風当たりがよくこの時期は仙台との気温差は5度くらいある。桜も10日くらいは遅く咲くだろう。
 この時期は多種多様な植物が芽をだし、成長し、花になり、実になり、子孫を残していく。
 人間もこれを期に、記録を残し、風化せず、後世に残せるよう、皆が力を合わせていかなければならないことを改めて知る。

2013年3月31日日曜日

ほやおやじ

 何ともグロテスクなネーミングである。
 おやじは何処にでもいるのだが、このストラップのほやおやじは、めんこいに尽きる。
 震災以降、支援活動を続けている「一般社団法人 海友支援隊」。
 このほど報告があり、ほやの成長がネットに掲載された。
 まだ2年目であるが順調に成長し、支援者の方々には2014年夏には皆様のお手元に届く予定である。
 皆さま方に1口1万円の支援基金を募り、その内7割が、ほや・帆立養殖のための資材や漁具の費用に、残り3割がその他の経費としてあてられている。
 このほやおやじは、1口支援をしていただいた方だけに提供しているため、残念ながらこれだけ購入することはできない。
 まだまだ沿岸部では支援の手が行き届いていない状況なだけに、これからの在り方も考えさせられる。
 とにかく現地に行き、支援の輪を広げるに尽きる。
 本紙【縁】第3号に掲載。

一般社団法人 海友支援隊
 ネットショップも立ち上げりました!
http://www.kinka-hoya.com/



2013年3月30日土曜日

サン・ファン・バウティスタパーク

 石巻駅から車で約30分、渡波地区に宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館がある。
 震災以降、館内の整備やサン・ファン・バウティスタ号の修復に努め、ようやく10月に開館の運びとなった。
 展望棟やドック棟は閉館していたが、サン・ファン・バウティスタパーク(サン・ファン広場)は震災以降も開放しており、復興のイベント活動で盛り上がっていた。
 館内にあるシミュレーションシアターは圧巻である。支倉常長とサン・ファン・バウティスタに乗って航海を擬似体験できるとあって、一番人気のところだ。
 ここ渡波も震災で津波の影響を真面に受けた地区である。
 写真奥の佐須浜漁港も津波の被害で、船や倉庫が流され、がれき置き場となっていた。最近では撤去も進み、港湾の整備が進められている。
 これからは活動するのに絶好のシーズンである。是非、こちらまで足を伸ばしてみてください。
本紙【縁】第4号に掲載。

宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館
http://www.santjuan.or.jp/

2013年3月29日金曜日

南三陸観光バス

 雄勝町公民館の屋上に打ち上げられた観光バス。
 震災で観光バス13台全てが津波により消失した。中でもこの映像は何とも忍び難く、いまだに大型バス5台も海に眠っているという。
 雄勝町にあった事務所は消失したが、仮事務所を飯野川に移し再開をしている。
 震災後の仕事は、石巻市の小中高学の送迎や仮設住宅と病院等の送迎で数少ないバスで営業を継続している。
 しかし、「これから3年後がどうなるのか分からい。今まで送迎をしてきたわけだが、仮設住宅が無くなった頃には、当然送迎の仕事は無くなるし、観光事業もまだ先が見えない」と髙橋社長はいう。やっとの思いで再開したが、まだ先が見えぬこの現状で四方八方営業に飛び回っている。
 全国からの様々な支援がある一方、これからの事業の継続にも大きな問題がある。
 
自治体は、復興のための政策を大きく打ち出し、この2013年度の活力となるための規制緩和策など取り入れるべきである。

南三陸観光バス
http://www.mkb-bus.net/index.html

2013年3月28日木曜日

足形すずり


 雄勝町で伝統の硯を手がけて27年、硯職人の遠藤弘行さん。
昭和61年に独立をして「すずり館」を開業し、河北工芸展はもちろんのこと、様々な工芸美術展に入選している。
 硯だけかと思っていたら、これは誕生記念として赤ちゃんの足形を玄昌石に彫ったもので、表には四季の花が彫刻されている。
 この企画は震災前から行っていたのだが、ここに来て注文が殺到して来ている。
 もともと雄勝町に駐在していた警察官が、赤ちゃんの誕生記念として彫ってほしいとの要望があり、それ以来、注文を受けての彫刻となっている。
 遠藤さんの作品には、様々な彫刻を施し使い手側にもその良さが分かる。
 硯だけではなく、文鎮や小物入れなど種類は数多い。
 場所は、雄勝町硯会館(間もなく取り壊される予定である)の近くで、手製の看板が土手沿いに掲げられている。
 工房のすずり館は仮設で手狭いが、一級品の伝統工芸品のすずりなどが展示してあるので、この休日は是非立ち寄ってみてください。
 (すみません!画像がぼけちゃってましたm(_ _)m)

2013年3月27日水曜日

松島五大堂

 3月末、まだ気温が8度。この日は松島海岸に足を運んだ。
 観光シーズン前とあって観光客はまばらだったが、この日は若いカップルが多く見られたようだ。
 入り口手前の店で牡蠣を注文し、その間に五大堂をグルリと1週回り軒周りの干支もしっかり見つめ、手を合わせた。

震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、一日でも早く復興し、被災地皆様方のこころが和まれるように。この松島の光景が皆様方の勇気を与えられることをお祈りします。

 店前のシャッターのところに、「ここまで津波が来ました」と貼り紙がしてあった。1m20~30㎝はあっただろうか、津波の威力、破壊力が相当あったことを目の当たりにした。
 お店のほとんどが営業を再開し、お土産や食事処の活気が出てきたようだ。
 この4月1日から90日間、デスティネーションキャンペーンが始まる。
 宮城の観光処は相当多忙しである。
 これから日も長くなり暖かくもなるので、観光には丁度良いシーズンである。

本紙【縁】第4号に詳細掲載中。

2013年3月26日火曜日

お地蔵さんの絵

 水産加工会社にひととき目につく絵が置いてあった。
 よく見ると、お地蔵さんが幸せそうに天を見つめて合掌している。ほのぼのとした絵に、お地蔵さんの「こころ」が描かれてあった。
 ことば画家として、白石を拠点に活動している 渡邊未来さんの画である。
 宮城県など全国各地で個展を開催、震災以降も被災地を支援しながら、ことば画を描き続けている。
 たくさんの方々の幸せを願いながら、「ありがとう」のこころを届け、その点数は数えきれないほどになっている。
 ふと見つめると、こころが癒され、不思議な感じがする。
 復旧・復興という毎日で、ひたすら汗を流しては夜には涙し、前向きにとはいうもののこころが疲れ切っている。
 ふと見つめるだけで、こころが和らぐ、こころの支援もこれからの復興には欠かせない一つでもある。

2013年3月25日月曜日

トラックがバックで山を登る

 いやー、ビックリ!
 何と500mもある道のりを、しかも細い海沿いを登って行く! 道幅も狭く、一歩間違えば転落して海に落ちてしまう!
 この山影では土砂崩れが起き、昨年から災害復旧工事をしている。
 あまり気にもせずダンプが山から土砂を運んでいるな、という感じで見ていたが、バックで登って行くところは今回初めて見た。
 災害復旧工事は、がれきや土砂、コンクリート片の運搬などだけかと思っていたが、現場を見るとこんな危険な個所にも復旧に向けて取り組んでいるありがたみを実感した次第である。
 このところ入札の不調などがあり、復旧・復興の事業が滞っている。
 工事費内訳書の提出など書類は山積みである。復旧工事をするにあたり、測量等の調査業務が入り、その後の本工事の入札の手順となる。そのため調査業務等の入札が不調になれば、本工事の入札が遅れ、着工も当然遅れてしまうことになる。また自治体側の測量等調査人員も不足の状態にあり、これらが復旧工事の遅延の要因とも
なっている。
 入札制度も自治体により大分緩和されてきているようだが、平成25年度の入札がスムーズに進み、早期着工し、復旧・復興へ大きく進んでいく事を強く望む。

2013年3月24日日曜日

校舎に2つの言葉が!

 石巻市立湊中学校の校舎に、「感謝」と「いまからここから」の大きな2つの垂幕が飾ってあった。
 県道240号線は、日和大橋を越えて600m左手に見える。車の中からも見えるが、実際校舎の前に立つとものすごく大きく、横3m縦5mはあるだろう。
 垂幕を飾ってくれたのは、ボランティアチームの「Ths is a pen」。
 震災直後の4月から石巻市に足を運び、泥かきからがれき撤去、フリーマーケットの売り上げの寄付など、様々な地区などで支援活動をしている。
 メンバーは、ファッションモデルや役者、スタイリスト、料理人などジャンルを問わず、月1~3回のペースで関東圏から駆けつけてくれる。
 先立て、津波でご家族を亡くされた自宅跡を訪れ花を植えたりと、普段の何気ないところに気配りが利き、私たちに支援活動の在り方さえも教えられたようだ。
 これからも長く続く復旧・復興。継続しての支援活動が、被災地の復興を一歩ずつ前へ進んで行くにちがいない。

ボランティア:Ths is a pen
http://this-is-a-pen.jp/

2013年3月23日土曜日

牧山から渡波を望む

 湊牧山神社(零羊崎神社)から一枚の写真が撮れた。
 写真の町並みは渡波エリア。右側が石巻湾、左側が万石浦。半島の手前が渡波港とサンファンパーク。奥に浮かぶ島は田代島である。
 神社の呼び名は零羊崎神社と書いて「ヒツジザキジンジャ」と呼ぶ。別名が「マキヤマジンジャ」。
 石巻女川海道(県道398号線)湊から車で走れば10分程で着く場所にあり、5月はつつじ祭り、6月はやあやめ祭りがある。また桜の名所としても知られているところでもあり、この4月は大勢の方で賑わうだろう。
 写真右側の石巻湾と街並みの間の黒いところは松並林である。このところが市街地から最も近い、渡波海水浴場である。多くの家族連れで賑わったところだが、この東日本大震災により開設中止となっている。
 石巻市の海水浴場は、渡波海水浴場、白浜海水浴場、十八成浜海水浴場、荒浜海水浴場、網地白浜海水浴場、田代ポケットビーチの計6ヵ所あり、いずれも開設中止となっている。
 様々な復興で再開を待ち望む住民がいる一方、沿岸部には住めないと町を離れていく住民もいる。
 震災から2年が経ち、3年目の年。
 一歩一歩前へ!

2013年3月21日木曜日

見慣れたテント

 雄勝町荒浜地区にセルコホームのテントが設置してあった。
 震災当時逸早く被災地支援に動き出した、地元宮城のセルコホームだった。
 ここ雄勝町地区に仮設風呂を設置。薪から沸かす五右衛門風呂を設置し、被災地住民に非常に喜んでいただいた。地区住民らは「当時は大変ありがたかった。お風呂につかって生き返ったようだ!」と話していた。
 ここの地区も高さ15メートルまで津波が押し寄せ、住宅や納屋を流され、浜沿いの地区が一変した。2年が経ち荒廃した土地も整地されるようになり、ふと気付くと少し小高いところに、漁師らの漁具置き場としてテントが活用されていた。大切に使うところが、いかにも沿岸部の人の良さが出ていた。
 沿岸部の人たちは、少々よそ者を白い目で見がちな感じがすると思っていた。声はでかいしズーズー弁丸出しで、荒々しく怒鳴るような口調で物事を言い、近寄りがたい存在だった。しかし実際いろんな話をしているうち、何ともあの笑顔の魅力に引き寄せられる。
 「仙台から来たんすか?お土産にこれ持って行きな!」と買い物以上にお土産をくれたりする。気前が良すぎる。こんなところが浜の人間なのだ。
 魅力あるまちづくりは着々と進行している。自治体だけのまちづくりではない!住民あってのまちづくりなだけに、あの笑顔を取り戻すためにも一歩一歩前進していきたい。
 詳しくは【縁】第2号に掲載。

2013年3月20日水曜日

女川原子力PRセンター

 女川町内から車で沿道沿いを走ること20分。女川原子力PRセンターに足を運んだ。
 平日ということもあるのか、人っ子一人いない殺風景さであった。機関誌は2011年3月以降作られていないようで、代わりに電気事業連合会の「原子力コンセンサス2012」と東北電力の「女川原子力発電所の概要」があり、いただいてきた。
 女川原子力発電所の概要には、震災当時避難された方々は最大で364名、3ヵ月間避難生活を送られたという。幸いにして何もなかったが、未だに地区住民と自治体との共同での訓練をしていないだけに、これは早期に避難計画を盛り込み実施していただきたい。
 何しろ避難対象が原発から30km以内と国の指針が提示されたことに伴い、自治体との連携が必死だ。「事故があっては遅し!」避難経路、誘導方法など迅速に退避できることを強く望みとともに、企業間との連携や告知にもしっかりと努めていただきたい。
 ふるさとには想い出がたくさん詰め込まれています。
 一瞬でふるさとが無くなってしまうことが何よりも辛いのです。

2013年3月19日火曜日

石巻女川海道拡幅工事

 石巻市内と渡波、女川町を結ぶ幹線道路の工事が、いよいよ着工の予定である。
 湊近辺は道路幅を17mに、鹿妻近辺は20mに拡幅するという。1mかさ上げをし、歩道も整備されるわけだが、完成は3年もかかりそうと住民は話している。
 今はとにかく歩道が沈下していたり、地震の影響で凸凹が物凄い。そこを住民が歩くのは危険な状況だっただけに、ほんの少しだが明るい兆しが出てきたようだ。
 写真向かって、左側(沿岸部側)をどうやら道路の分にあてるらしく、湊町にあるヤマグン商店は、今ある建物が半分削られるということもあり、「今後この地でお店を継続したらよいのか分からない」と話していた。
 着工のスピードが急がれる中、入札の不調が昨年より一層増えている。災害公営住宅着工の遅れや、学校建築物着工の遅れ、港湾整備等の遅れなど、住民の不安要素は以前とまして高くなっている。
 自治体のスピードアップ対策が急がれ、このまま遅れが続くようであれば街の活気はなくなり、復興が著しく低下してしまう。国・県・市・町が一体となり足並みをそろえて前に進んでいただきたい。

2013年3月18日月曜日

大鱗丸阿部船長

 大須と船越に行く道路境の漁港で、震災の影響を真面に受けた大浜漁港がある。
 そこで鮭の養殖業をしている阿部船長さんと何度かお話をする機会があった。阿部さんは長年養殖業に携わってる一方、大浜地区の消防団長でもあり、地元からの信頼も厚い。
 震災当時、地区住民に避難をさせ水門を閉じ見回りしていたが、携帯していた無線に「大須漁港で津波が5mの高さに達した」と傍受。今一度避難所をまわり、残っている住民ともっと高台へ避難させた矢先、大津波が押し寄せた。避難所は津波に巻き込まれたが、避難した住民らは無事であった。
 何もかもが流され養殖業を断念するか悩んでいた際、大切な漁船を兄から譲り受け、もうひと踏ん張り裸一貫で継続すると覚悟を決めた。兄は幸い無事であったが、高齢であるためもう漁師は断念したという。
 毎日が、漁場に向かい餌を与え、合間に船や機械のメンテナンスにあけくれている。
 鮭は稚魚から育て、半年で出荷できるという。ただこれだけでは生活できず、ほたての養殖なども行い、生計を立てている。
 雄勝町は、海産物の宝庫である。
魚はもちろんのこと、牡蠣、鮑、うに、ほたて、わかめ、こんぶ、などと食卓には欠かせない品々である。海に囲まれている日本では水産業を欠かすことのできない伝統文化になっている。この大切な伝統文化を絶やさないためにも一人ひとりの絆が大切なのである。
 これからは、ようやく暖かくなってくる季節である。様々な地区でイベント活動があるだろうが、沿岸部を訪問することで更に絆を高めることも復興の足掛かりとなってくるだろう。
 「被災地を旅する」は本紙【縁】第4号にも取り上げている。

2013年3月17日日曜日

わかめのみみ

 石巻市雄勝町荒浜にある髙橋商店から「わかめのみみ」を頂戴しました。
 その高橋商店、ネットで調べたら35万件のヒットがあり驚きです。石巻市だけでも3万4千件もあり、これまたビックリです。
 沿岸部では地域により同じ名字が多い部落があり、石巻市のベスト3では、阿部、佐藤、髙橋でした。そこで、名字の前に屋号を入れているところも多く、私の実家では「カギマル」が頭につきます。
 髙橋商店の屋号は、「ヤマセ」になり、「ヤマセの髙橋です」といえば、荒浜の髙橋商店ということで、分かっている人も多いようです。
 ところで、「わかめのみみ」は聞いたことがない方も多いと思いますが、芽株のことを言います。
浜方面では知らない人はいません。
 わかめは、根・茎・葉に分けられ、通常わかめといえば、葉の部分になります。
 茎わかめは葉の中央にあり、茎の先端部分に芽株がついています。
 栄養は今更いうことではありませんが、是非ご賞味してください。

2013年3月16日土曜日

雄勝町船越湾

 漁船数はわずかに8隻あまり、湾内に静かに浮かんでいる。岸にあげられてい船は、メンテナンス中であろうか?この光景は随分と痛々しく見える。
 近海の巻き網漁、ホタテやわかめ、牡蠣、アワビの養殖が盛んなところであった。石巻からは車で1時間程で着く。小学校裏山から荒浜に抜ける歩道の荒峠を1時間もかけて実家に行った想い出がよみがえってきた。
 湾内にある漁船は新品ではなさそうだ。それもそのはず、家1軒買えるほどの金額なのである。その他に網を巻き上げる機械など他の装備だけでも相当金額がかかってしまう。
 震災以降、「船は陸にあげられ何とか無事だったが、補修や機械購入などで1千万はいった(かかった)」という漁師の話も聞く。
 今では、中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業において、決定すれば満額ではないが支給される。しかしそれまで何もするわけもいかず、銀行からその分の借入れをして漁をする。当然ながら利息は発生するし、差額分も発生する。その差額分を銀行からまた借り入れるとういう。もし借り入れが出来なかったらというと、当然倒産になってしまう。
 グループ化の認定を受けたが、破産している企業もある。
 再建に向け事業を再開したが、消費低迷、販売価格の低迷、運転資金の欠乏や原材料確保の困難があげられ事業を断念したという。
 中小の企業支援に、補助金だけではなく、数年間の運転資金の融通を挙げていただきたい。ようやく再建して1年、そして補助金の認定を受け、いよいよという時に資金が欠乏という中小の企業も絶対的に多い。
 復興特区で推進計画を立てているが、地場の産業はこれでは育ってこない。ましてこの制度で民間が参入しすぎ、漁場をあらし、ブランドが無くなってしまう恐れがある。その上雇用の確保とうたっているが、消費低迷の中、民間の活力で再生したが、採算が合わず撤退にでもなれば、更に雇用の悪化は避けられない状況が発生する。
 一段と復興を推し進めえるなら、このような規制緩和も必要と考える。

2013年3月15日金曜日

雄勝希望のキャンバス

 「雄勝希望のキャンバス」が雄勝町荒浜の海水浴場に描かれています。
 昨年12月に左官職人の挟土秀平さんと漫画家の井上雄彦さんが共同で作業し、完成させました。
 俳人の黛まどかさんやファッションデザイナーのコシノジュンコさんも出席し、雄勝町の伊達の黒船太鼓が披露され沢山の方で盛り上がったようです。
 皆さまありがとうございました。実行委員会の皆様、本当にお疲れ様でございました。
 今度3月30日(土)、31日(日)午前10時から午後2時、2日間に渡って、キャンバスに描かれた桜の木に花を咲かせるイベントがあります。
 皆さん一人ひとりの手形で桜を満開にし、希望の花を咲かせるイベントです。
 一日一日、着実に前に進んでいます!希望の光を絶やさないためにも皆さんの想いを寄せてください。
 よろしくお願いします。

 ・おがつ新聞web http://ogatsu.info
 ・挟土秀平氏ブログ  http://goo.gl/CuUIJ
 ・INOUE TAKEHIKO ON THE WAB http://itplanning.co.jp/inoue/log/121130

スレート(玄昌石)


雄勝町は玄昌石の産地です。
といわれてもピンと来ないかもしれませんが、東京駅の屋根材に使用されていることがメディアで取り上げられたり、雄勝硯というブランドといえば聞いたことがあるかもしれませんね。
雄勝硯は室町時代から続いていると言われ、約600年の歴史があるそうです。
しかし、3.11の大震災の影響で、この地に残り携わっている職人はわずかの2人だけです。
この地を余儀なく離れ他地域で作業している方もおりますが、後継者が育たない環境にあります。
硯職人の遠藤弘行さんは、この地に残り「エンドーすずり館」を高台に仮工房を構え、作業を復活しました。全国からの注文を受け、一刀一刀丁寧に彫り、愛好家からも大変喜ばれています。。
硯石の呼び名の、鼠、白石、黒石の3種類を巧みに分け、芸術的な作品を彫り続けています。
まだ復興は始まったばかりです。全国の皆さん、雄勝に来ましたら是非寄ってみてください。

2013年3月13日水曜日

日和山から日和大橋を望む


 石巻市は日和山に行ってきた。
 小さい頃は門脇から歩いて5分もすれば登れたが、今は息はハァハァだし、おしりの筋肉が笑ってしまって20分もかかってしまった。夏休みともなると叔母のところに行き、公園で遊んでいた記憶がよみがえってくる。
 お目当ては、「鹿」である。ポッケにオジャガシ(お菓子)を詰め込んで遠くへ投げては遊んでいた。懐かしい限りである。
 8月1日は石巻川開大会があり、北上川中州造船所辺りから打ち上げられる花火を満喫したものだ。トミギ(トウモロコシ)や大判焼きを食べながら、ワイワイガヤガヤと駆け回っていた。

 前方の橋は、日和大橋。33年程前に開通したが、当時は普通車で150円の料金がかかっていたと思う。地区住民からは「たかが1キロ橋を渡るのにお金とるなんて」という声もあがっていた。
 手前は門脇、奥は魚町、湊町辺りである。建物はまばらで、宅地跡の何もない光景が痛々しく寂しい。
 水平線に浮かぶ島は、中央が猫の島の田代島、左側のほのかに霞んでいるところが網地島である。ここからは金華山は見えない。
 あと何年すればこの気持ちが落ち着くのだろうか?
 まだ先が見えぬこの現状。後世のためにもしっかりと記憶に残さなければならない。
 一つずつ前へ進んでいかなければならい。
 そう誓った!

2013年3月12日火曜日

東日本大震災三回忌

 3月11日、石巻市松厳寺で黙祷してきました。
 思わずジーンと込み上げ涙が出てしまいましたが、被災者の霊を弔らい、これからの復興に改めて誓いをたててきました。
 被災地の方、笑顔届け隊のスタッフの方々の総勢150名ほど集まり、14時46分に黙祷。そして亡くなられた方々への「願い」「誓い」を込めて、天まで届けと風船を飛ばしてきました。
 早いもので、もう2年が経ってしまいました。復旧・復興にはほど遠いこの現実。
 人員不足や入札不調などで年度予算が繰り越され、着工されていない事業が85にも及んでいます。
 国の整備計画では10年という枠組みを決め早期着工し、被災地の復旧・復興に努める。としていましたが、数々の問題が想定以上に発生し、解決できないでいます。
 被災地では、「もう想定外は許されない!」という思いで一杯なのですが、同じことの繰り返しで、先々に不安を抱えての3年目に入ってしまいました。
 しかし、全国や海外からのボランティアの支援を受け、「ここまで復興の ふ の字まで来たんだよ」と、被災地宮城からの様々な情報をお伝えしていきます。
 「11」という数字に目を向け、耳を傾けてください。東日本大震災が風化しないよう、皆さんと祈りをささげ、未来に進んでいくことを強く望みます。