2012年3月17日土曜日

刻まれた時計

名取市閖上中学校の時計が2時46分で時間が止まったまま1年が経った。
高台移転の確保ができず、浸水区域にかさ上げし新設する計画だ。
今は別の学校を間借りして授業を再開しているが、新校舎完成までは2年はかかりそうである。
被災した小・中学校では応急的な仮設校舎や別学校の間借りしての授業再開を行っている。
小学校では仮設校舎で11校、間借りでは22校。
中学校では仮設校舎で9校、間借りでは8校にもなっている。
また学校再編の動きも出ており、統廃合の加速化が進みそうだ。
仮設や間借り地区は住み慣れたところとは全く異なり、遠く交通の便や子どもたちの精神的な不安、家族の不安が残る。
安全な安心な街の復興計画案が各地域で徐々に取りまとめられているが、一体何時になるのか不安のままだ。

整理された写真

体育館で日付がある段ボールを見つけた。
震災時津波で流された写真を、ボランティア活動のメンバーが泥を流し整理した写真だ。
4月から洗浄し、9月には整理された。
ご両親と写った小学校での入学式の写真、中体連・高体連での友人との活躍の写真、結婚式でのご両家との写真、子どもが生まれ抱っこした写真、孫と遊ぶ叔父叔母の写真。
体育館一面にあった写真も引き取りに来られた方もいて大分整理ができた。しかしまだ段ボールには思い出のあるその時の写真が残っている。
東日本大震災から早1年が経った。早く持ち主がわかればと願う。

2012年3月16日金曜日

ランドセル

体育館の裏側にランドセルが積み上げてあった。
150個もの泥をかぶった赤やピンク、黒などの行き先のないランドセルだ。
今回の震災で多くの命がなくなり、夢や希望をたくさん持った命がなくなった。
その家族、その両親、その子供。
私たちにとっては、かけがえのない未来の子供たち。未来にとっても、かけがえのない宝物。
1年前の震災の記憶は、子どもたちにとっては決して忘れられない出来事になった。
沿岸部の学校では、毎年1回避難訓練をしている。「地震があったらすぐ高台に逃げなさい」という昔からの言葉は聞いたことはなかったのだろうか?
沿岸部で育った先生はこのことは良くわかっている。しかし都会で育った先生はどうだったのであろうか?1回の訓練で何がわかるのだろうか?頭でわかってても体では覚えられない!
これから将来にわたってこの時代を生き抜いていく子供たち。皆様の力で支えていただきたい。

2012年3月13日火曜日

木の屋石巻水産

昨年お土産として、「石巻鯨カレーとひげ鯨大和煮」を購入した。
小学生の頃、鯨の刺身や大和煮を食べていたが、捕鯨が禁止されて以来40年ぶりに食し、思わずジーンと涙がこもってしまった。
何とも昔懐かしの味で、歯ごたえもあり、これさえあれば他のおかずはもう何もいらない。
木の屋石巻水産は、石巻市漁港の魚町にあり津波で被災した。当時倉庫には缶詰が100万個もあったが、すべて流失してしまった。しかし石巻を復興させたいと従業員やボランティア活動の支援を受け、半分にも満たない回収ではあったが、多くの皆様に喜んで購入していただくことができたという。
この「希望の缶詰」が石巻を復興させるに違いない。
お土産を購入した際「希望の缶詰」を何缶かいただいた。ラベルが剥がれへこんではいるが、皆様のありがたさが伝わってくる。商品も出揃い始めているので、ホームページから確認し購入していただきたい。

仮設住宅の今後

仮設住宅は関東大震災で多くの家屋が被災したため、靖国神社などに一時的に仮設住宅が設置された。その後、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震等で設置されている。住居期間は2年以内、規格は29.7㎡で9坪、限度額は2,433千円である。
また応急的な処置で松杭の土台に組み立てられ、公営地(公園や校庭など)に立てることを前提としているので、被災地から遠く離れてしまうケースがある。
仮設住宅はあくまでも応急措置の一つであり、費用もかけられないのが現状である。
今回の標準間取りは、1DK(6坪)・2DK(9坪)・3K(12坪)の3タイプ設けら、市町村により費用は異なるが4,000千円前後に上る。しかしながら東北は寒冷地域であり、冬になると途轍もなく寒さが厳しい。寒さ対策として費用が重なってしまったが、外壁の断熱材の使用、二重サッシや凍結防止などは事前に講じなければならなかった。
また家族が多い入居者の場合、風呂で追い炊きができないことも問題に挙げられている。その他に浄化槽、外灯等共用部分の維持管理方法、費用負担など誰が持つのかという問題も発生している。
その日その日をどうにか暮らしている現状は自治体も知っているはずである。このことは責任をもって救済していただきたい。

2012年3月6日火曜日

「絆」

昨年の漢字一字は「絆」であった。
あの未曾有の大災害から支援活動をいただいた様々な方々と被災者との間に人と人とのつながり「絆」があった。日本国中から世界各国からの支援をいただき復旧・復興に取り組んでいる。
財団法人日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字の公募を日本全国より行い、毎年12月12日の漢字の日に清水寺で発表する。
その歴史は意外と浅く、1995年に阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があった年であった。
その一字は「震」である。
今年の予想も一部では報じられているが、それどころかまだまだ日の当たっていない被災地があり被災者が大勢いる。
一人ひとりの力を合わせて隅々まで支援の手をかざし、今年こそは復興の年にしていきたい。

2012年3月4日日曜日

仮設住宅の集会所

宮城の仮設住宅戸数は406か所で22095戸数ある。そのうち集会所が321か所あり割合は14%であった。
石巻市は131か所で7297戸数あり、集会所は114か所で15%であった。しかし雄勝町は集会所がない。そこにはボランティア活動も少なく、物資の配布も当然少ない。コミュニケーション活動とはいうが、結局は地元の町内会長が先頭に立ち1件1件挨拶していくのが精一杯である。
集会所を借用し活動しているNPO、団体そして個人もが、様々な活動をしながら被災地住民とのコミュニケーションをはかり続けている。しかし集会所が「ある、なし」で地域格差が生じてきているのは確かで、仮設住宅地に最低一つはあってほしいと願っている。今後の課題の一つといえるのではなかろうか。
あの未曾有の大災害より間もなく1年が経とうとしている。この1年で様々な問題が生じ棚上げになったものも多かったが、早急に被災地の立場で物事をとらえていただきたいと願う。