2013年3月18日月曜日

大鱗丸阿部船長

 大須と船越に行く道路境の漁港で、震災の影響を真面に受けた大浜漁港がある。
 そこで鮭の養殖業をしている阿部船長さんと何度かお話をする機会があった。阿部さんは長年養殖業に携わってる一方、大浜地区の消防団長でもあり、地元からの信頼も厚い。
 震災当時、地区住民に避難をさせ水門を閉じ見回りしていたが、携帯していた無線に「大須漁港で津波が5mの高さに達した」と傍受。今一度避難所をまわり、残っている住民ともっと高台へ避難させた矢先、大津波が押し寄せた。避難所は津波に巻き込まれたが、避難した住民らは無事であった。
 何もかもが流され養殖業を断念するか悩んでいた際、大切な漁船を兄から譲り受け、もうひと踏ん張り裸一貫で継続すると覚悟を決めた。兄は幸い無事であったが、高齢であるためもう漁師は断念したという。
 毎日が、漁場に向かい餌を与え、合間に船や機械のメンテナンスにあけくれている。
 鮭は稚魚から育て、半年で出荷できるという。ただこれだけでは生活できず、ほたての養殖なども行い、生計を立てている。
 雄勝町は、海産物の宝庫である。
魚はもちろんのこと、牡蠣、鮑、うに、ほたて、わかめ、こんぶ、などと食卓には欠かせない品々である。海に囲まれている日本では水産業を欠かすことのできない伝統文化になっている。この大切な伝統文化を絶やさないためにも一人ひとりの絆が大切なのである。
 これからは、ようやく暖かくなってくる季節である。様々な地区でイベント活動があるだろうが、沿岸部を訪問することで更に絆を高めることも復興の足掛かりとなってくるだろう。
 「被災地を旅する」は本紙【縁】第4号にも取り上げている。