2012年6月11日月曜日

縁側で「こんにちわ」プロジェクト

愛島地区で昨年12月から支援活動を行っている東北大学大学院文学研究科 名嶋先生にお伺いした。
先生は個人的には8月から支援活動を行っていたが、12月から学生スタッフ数名と本格的に活動をしてきた。
「何もできない私たちですが、お茶を飲みながら会話をすることによって、言葉と言葉のコミュニケーションが生まれます。そこから被災者の輪が出来上がりますし、目には見えない形ですけれど、これからも支援していきます」
と語ってくれた。
がれき撤去など目に見える形ではないが、心と心が通じ合うことも支援の一つであり、被災者を心強く守ってあげられる。
愛島地区は閖上地区の一部が居住しており、生活環境も一変している。
イベントで、お花教室やヨガ、演奏会など市民団体と協力して支援も行っている。
まだまだ険しく長く続く復旧・復興に、心がかよう支援を継続して届けていただけるよう、私たちも支援していきたい。

2012年6月6日水曜日

石巻市のがれきの量

先立て宮城県の市町別がれき量の見直しが発表された。
当初は全体で1,107万tだったのに対して、431万t少ない676万tになった。
その内、石巻市は273万t少ない308万tである。
当初沿岸部の被災した家屋はすべて解体し、かさ上げをすることに決まっていたが、地区により修復して住めることになった。そのため相当数の減少につながったわけである。
しかし、これだけのがれきの量があちらこちらに散在し、焼却してもその焼却灰の処理にも問題があるので、たやすくは安心できない。
しかも家屋の現地再建が地区によりバラバラなので、かさ上げも一向に進まず、復興整備計画の見直しも余儀なくされる。
今後は、いかにして早期な処理と再建を住民とどのように進めていくのか?集落全体が消滅してしまうケースも考えられるので、定期的な住民説明会で具体的な方向性を示していただきたい。

石巻市川口町から市立病院を望む

まだ所狭しと木材や船の残骸が横たわっている川口町の河川敷きから、遠方の石巻市立病院を眺めてみた。
3.11で津波の被害を受け診療はしていなかったが、5月30日に仮設住宅がある開成町に仮診療所として開所した。
また今後の新私立病院の建設場所は、石巻市駅駐車場敷地に決定している。
2013年度着工、2015年度完成の予定であるが、もっと早く着工できないのかという疑問が残る。
震災年には候補地は何ヶ所かあった。
その中で御所入山付近には測量しにき、広さも十分だったという。しかし結局はずるずると時間がかかってしまい、2012年新たに地質調査から始まったわけである。
地質調査から基本設計までは約1年間かかる。そしてその後の着工で約3年間、計4年間もかかってしまうことになる。
市は4年間も待っていられるものなのか?ということを住民の目線で物事を捉えていただきたい。
いま住民にとって必要なものは何か?何を求めているのか?石巻市はどうなっているのか?
住民には色濃く不安が残っている。少しでも心が和らぐことを望む。