2012年3月27日火曜日

がれきの山

未だにがれきの撤去が進まない状況が続いている。
道路沿いに高々と積み上げられたがれきの山が何か所もあり、通るたびに目が引ける。
ここは石巻市南浜町地区。石巻港沿岸部に位置し、津波で被災し壊滅した地域である。
近くには石巻市立病院や石巻文化センターがあったが、いずれも被災し今も運営していない。
1年も経つのに状況が全く変わっていず、復興計画の疑問すら出てくる。
がれきは今のところ、瓦礫・鉄・木材・家材・家電・リサイクルできる家電・畳の7種類に分別され、石巻港付近の集積場に持ち運びこまれる。
がれき処理が進まなかった要因として、震災時の生存者の救出や行方不明者の捜索により家屋の処理などはできなかったため分別ができず、一極端に集積場に持ち運びこまれ、処理が遅くなったのが上げられる。
今は二次的に分別されているが、県以外での広域処理が進まず、地元住民はがれきの山を見ては肩を落としてる。
宮城県ではがれきの量は、一般廃物の20年分に当たる1570万トン。
その内、石巻市では一般廃物の100年分に当たる616万トンにも及ぶ。

2012年3月26日月曜日

石巻漁港

石巻は全国でも有数の水産業の町として知られている。
石巻漁港の水揚げ高は2010年度は13万トンで全国で3番目の位置にある。
しかし震災の影響で町は壊滅し、2011年度は16%台の2万トンと激減している。
特に魚町地区では津波により工場が全壊、再建の目途すら立っていない状況だ。
その上に1mもの地盤沈下で、満潮時になるとマンホールから海水が逆流してくる。
そのためかさ上げ工事を行う予定だが、被災した工場の撤去やそのがれきが壁になり一向に復旧が進んでいない。
漁港の再建は水産加工会社と直接結びつき、雇用の確保にも繋がってくる。
2013年度末までの漁港施設等の復旧の目途といわず、早く地域雇用の貢献に繋げていただきたい。

石巻鯨カレー

三陸・石巻の港で海と鯨と生きていた木の屋石巻水産から、風味豊かなスパイシーなカレーがネットで購入できる。
石巻と全国の人と人との繋がりから生まれた希望の味で、今もなお厳しい状況が続く中、再生の道を一歩一歩踏み出している。
石巻鯨カレーは松尾貴史氏の監修のもとで生まれ、ルゥを使わずスパイスから作り込んだ本格派のカレーだ。
一度口にすると適度な甘さと辛さがミックスされ、味わい深いコクのあるカレーの味が忘れられなくなる。
決め手は何と言っても鯨の触感。ピリリとした味に歯ごたえのある鯨はホロロと口一杯に広がる。
どうぞお買い求めを!

2012年3月25日日曜日

マンションの津波対策

東日本大震災の津波被害の教訓を、全国的に津波避難ビルの指定を受けるなどの水害対策を強化する動きが出始めている。
高台がない地域では既存の公共施設や民間企業のビルに指定避難所を設けて住民を安全に避難させるとしている。
しかし管理・運営上の課題や構造的な課題が山積みとして残っている。
オートロックの開錠、建物所有者の協力、防犯・プライバシー保護や、既存の建物の耐震性、自由に出入りできる外階段の建物がない、高層階がない地域、などほんの一例に過ぎない。
津波の高さが従来より大幅に引き上げられ沿岸部では10m前後の高さに想定をしているが、沿岸部で学校の校舎より高い建物がない地域もある。その場合の解決策はあるのだろうか?
時間は待ってはくれない。「生きる!」それは自主的に避難所の確認をしていくこと。
想定外では済まされないことである。

2012年3月23日金曜日

高橋水産のわかめ

石巻市雄勝町荒浜の高橋水産が震災後初めてわかめを出荷した。
昨年は出荷する矢先にこの震災に遭い、何もかも失われいただけに今回の出荷には感慨深いものがあった。
以前は高橋冨士雄商店として全国に出荷していたが、今は高橋水産として陽一さんの世代となり、家族総出で出荷に追われている。
今はわかめやくき、みみ(めかぶ)だけだが、10月頃にはとろろ昆布、ひじきなどが出荷できるという。
震災後1年が経つというのに、沿岸部ではまだ再開の目途が経っていない店舗がたくさんある。
資金の目途がつかず廃業する商店や中小企業、その数は凄まじい。
どうしても将来見通せる企業などにしか融資ができないのはなぜなのだろうか?自治体、銀行、協同組合などはどのように判断しているのだろうか?
ここ被災地石巻市では、復旧・復興のスピードが鈍化している。町の整備もよいが、企業側への支援体制も強化していただきたい。
高橋水産:電話0225-58-2091

2012年3月20日火曜日

【縁】ホームページ更新情報

【縁】取り扱い店舗に、
■宮城県
・東北大学生活協同組合川内購買書籍店(川内北キャンパス内)
・東北大学生活協同組合工学部店
■新潟県
・コメリ書房新発田店
■東京都
・旭屋書店池袋店
が追加されました。

癒しのペット

震災当時、真っ先に心配したのは妻のことだが、家族の一員のペットも心配した。
家の中は何もかもが散乱し、足の踏み場もなくなっていた。チョコ&モカと呼んでも反応がなく、下敷きになっているのではと思い、家具やタンスを片づけながら探していた。
するとクローゼットの奥に2匹寄り添うようにビクビクしながら私たちを見つめていた。
1ヶ月は声が出なかった。少しの音や揺れにすぐ反応し、陰に隠れるといった状況が続き、エサも今までの半分くらいの量しか食べなかった。ペット世帯ではこのような話をよく耳にした。
仮設住宅で暮らしている住民は、メンタル的な問題が相当多い。心的なストレスを解消する方法は色々あるだろうが、ペットで心を癒すのもその一つでないだろうか?
触れる、話しかける、その反応の声を聞くなど、私たちには持っていない何かを持っている。ペットの力で癒されることも必要である。

2012年3月17日土曜日

刻まれた時計

名取市閖上中学校の時計が2時46分で時間が止まったまま1年が経った。
高台移転の確保ができず、浸水区域にかさ上げし新設する計画だ。
今は別の学校を間借りして授業を再開しているが、新校舎完成までは2年はかかりそうである。
被災した小・中学校では応急的な仮設校舎や別学校の間借りしての授業再開を行っている。
小学校では仮設校舎で11校、間借りでは22校。
中学校では仮設校舎で9校、間借りでは8校にもなっている。
また学校再編の動きも出ており、統廃合の加速化が進みそうだ。
仮設や間借り地区は住み慣れたところとは全く異なり、遠く交通の便や子どもたちの精神的な不安、家族の不安が残る。
安全な安心な街の復興計画案が各地域で徐々に取りまとめられているが、一体何時になるのか不安のままだ。

整理された写真

体育館で日付がある段ボールを見つけた。
震災時津波で流された写真を、ボランティア活動のメンバーが泥を流し整理した写真だ。
4月から洗浄し、9月には整理された。
ご両親と写った小学校での入学式の写真、中体連・高体連での友人との活躍の写真、結婚式でのご両家との写真、子どもが生まれ抱っこした写真、孫と遊ぶ叔父叔母の写真。
体育館一面にあった写真も引き取りに来られた方もいて大分整理ができた。しかしまだ段ボールには思い出のあるその時の写真が残っている。
東日本大震災から早1年が経った。早く持ち主がわかればと願う。

2012年3月16日金曜日

ランドセル

体育館の裏側にランドセルが積み上げてあった。
150個もの泥をかぶった赤やピンク、黒などの行き先のないランドセルだ。
今回の震災で多くの命がなくなり、夢や希望をたくさん持った命がなくなった。
その家族、その両親、その子供。
私たちにとっては、かけがえのない未来の子供たち。未来にとっても、かけがえのない宝物。
1年前の震災の記憶は、子どもたちにとっては決して忘れられない出来事になった。
沿岸部の学校では、毎年1回避難訓練をしている。「地震があったらすぐ高台に逃げなさい」という昔からの言葉は聞いたことはなかったのだろうか?
沿岸部で育った先生はこのことは良くわかっている。しかし都会で育った先生はどうだったのであろうか?1回の訓練で何がわかるのだろうか?頭でわかってても体では覚えられない!
これから将来にわたってこの時代を生き抜いていく子供たち。皆様の力で支えていただきたい。

2012年3月13日火曜日

木の屋石巻水産

昨年お土産として、「石巻鯨カレーとひげ鯨大和煮」を購入した。
小学生の頃、鯨の刺身や大和煮を食べていたが、捕鯨が禁止されて以来40年ぶりに食し、思わずジーンと涙がこもってしまった。
何とも昔懐かしの味で、歯ごたえもあり、これさえあれば他のおかずはもう何もいらない。
木の屋石巻水産は、石巻市漁港の魚町にあり津波で被災した。当時倉庫には缶詰が100万個もあったが、すべて流失してしまった。しかし石巻を復興させたいと従業員やボランティア活動の支援を受け、半分にも満たない回収ではあったが、多くの皆様に喜んで購入していただくことができたという。
この「希望の缶詰」が石巻を復興させるに違いない。
お土産を購入した際「希望の缶詰」を何缶かいただいた。ラベルが剥がれへこんではいるが、皆様のありがたさが伝わってくる。商品も出揃い始めているので、ホームページから確認し購入していただきたい。

仮設住宅の今後

仮設住宅は関東大震災で多くの家屋が被災したため、靖国神社などに一時的に仮設住宅が設置された。その後、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震等で設置されている。住居期間は2年以内、規格は29.7㎡で9坪、限度額は2,433千円である。
また応急的な処置で松杭の土台に組み立てられ、公営地(公園や校庭など)に立てることを前提としているので、被災地から遠く離れてしまうケースがある。
仮設住宅はあくまでも応急措置の一つであり、費用もかけられないのが現状である。
今回の標準間取りは、1DK(6坪)・2DK(9坪)・3K(12坪)の3タイプ設けら、市町村により費用は異なるが4,000千円前後に上る。しかしながら東北は寒冷地域であり、冬になると途轍もなく寒さが厳しい。寒さ対策として費用が重なってしまったが、外壁の断熱材の使用、二重サッシや凍結防止などは事前に講じなければならなかった。
また家族が多い入居者の場合、風呂で追い炊きができないことも問題に挙げられている。その他に浄化槽、外灯等共用部分の維持管理方法、費用負担など誰が持つのかという問題も発生している。
その日その日をどうにか暮らしている現状は自治体も知っているはずである。このことは責任をもって救済していただきたい。

2012年3月6日火曜日

「絆」

昨年の漢字一字は「絆」であった。
あの未曾有の大災害から支援活動をいただいた様々な方々と被災者との間に人と人とのつながり「絆」があった。日本国中から世界各国からの支援をいただき復旧・復興に取り組んでいる。
財団法人日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字の公募を日本全国より行い、毎年12月12日の漢字の日に清水寺で発表する。
その歴史は意外と浅く、1995年に阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があった年であった。
その一字は「震」である。
今年の予想も一部では報じられているが、それどころかまだまだ日の当たっていない被災地があり被災者が大勢いる。
一人ひとりの力を合わせて隅々まで支援の手をかざし、今年こそは復興の年にしていきたい。

2012年3月4日日曜日

仮設住宅の集会所

宮城の仮設住宅戸数は406か所で22095戸数ある。そのうち集会所が321か所あり割合は14%であった。
石巻市は131か所で7297戸数あり、集会所は114か所で15%であった。しかし雄勝町は集会所がない。そこにはボランティア活動も少なく、物資の配布も当然少ない。コミュニケーション活動とはいうが、結局は地元の町内会長が先頭に立ち1件1件挨拶していくのが精一杯である。
集会所を借用し活動しているNPO、団体そして個人もが、様々な活動をしながら被災地住民とのコミュニケーションをはかり続けている。しかし集会所が「ある、なし」で地域格差が生じてきているのは確かで、仮設住宅地に最低一つはあってほしいと願っている。今後の課題の一つといえるのではなかろうか。
あの未曾有の大災害より間もなく1年が経とうとしている。この1年で様々な問題が生じ棚上げになったものも多かったが、早急に被災地の立場で物事をとらえていただきたいと願う。