2012年11月11日日曜日

石巻牡鹿三十三札所霊場詣り

このほど松厳寺永井副住職から、震災復興祈願誌「私の奥の細道」《千年忌供養の旅》という冊子をいただいた。
奥の細道と言えば、松尾芭蕉が晩年、深川から日光、須賀川、松島、平泉、山形、金沢、大垣へと150日間もの長旅をし、句を詠んだので有名である。
宮城には、白石、仙台、松島、石巻、登米を経由している。
誰もが知る句は、
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと」
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
「五月雨を あつめて早し 最上川(もがみがわ)」
のところであろう。
この石巻牡鹿三十三札所霊場のほとんどが震災の影響で被災した。
一部改修も行われているが、沿岸近くにあるところでは、かさ上げ工事の問題もあり進んでいないところも多い。
お寺さんは今回の大震災で多くの住民を受け入れてきたことから、今後の指定避難所としての役割も大きくなっている。
今回この霊場詣りは1日ではまわりきるには厳しいが、何日かのコースでゆっくりと住職さんと語り合いのも心が和むのではなかろうか。

2012年11月8日木曜日

さんま漁船

県内屈指の漁獲漁を誇る女川港にさんま漁船が着岸した。
例年は30,000tもの水揚量だが、h23年は前年対比で35%の9,200tしか水揚がなかった。
今年も不安されたが、この時期の大漁に市場が活気づき、地元水産会社などに取引されていた。
住民も待ちに待っただけに、おいしいさんまが食べられることで活力が湧いたに違いない。
女川町は、いわし類やさば、さんま、さけ・ますが主流で県内でも屈指の漁港の町であった。
現状は県の水産業集積拠点の一つに上げられ整備が進められているが、依然進捗が悪く心配の種
が消えない。
他漁港も同じように、h23年は石巻は20%、気仙沼が26%と大きく落ち込んでいる。
特に石巻のかつおの水揚げはh23年の前年対比で10%の2,500t、さばも10%の3,500tとかなり落ち込
んでいる。
沿岸の町は、水産業が主流な伝統文化の町である。
そこから漁なしでは死に絶えた町と化してしまう。
今は中規模の企業の再生に国や自治体から助成が行われているが、小規模な中小企業にも再生資
金が必要だ。
国は事業者再生支援機構を立ち上げたというが、それを生かされていない状況を判断し支援制度
の枠を広げなければ、企業の再生はもちろん有り得ないし、雇用にも繋がって来ず、町は衰退し
てしまう。現場の声を是非聞いていただき、状況にあった支援策を打ち出してほしい。

2012年11月6日火曜日

みなとふとん店

石巻市湊地区の老舗のふとん店がある。
ここの地区では住民に信頼が厚く、我が家でもお世話になったところである。
ふと昔のことが過ぎり、お店に入ってみた。
話しをしているうち、名前がようやく出てきた。
それもそのはず、「みなとふとん屋さん」といつも言っていたので、名前をド忘れてしまった。
自宅工場を流され再開するか迷っていたが、地区住民をまわり、ふとんの打ち直しをしている最中に皆さんのために出来ることはこれしかないと、決心がついたのだという。
プレハブは中古で購入、物置も外国人ボランティアに作っていただき、細々と営業をしている。
個人商店では何をするにも経費がかさむ。お得意様と言われる住民も被災し、ここを離れて仮設
住居に入居したりしている。そのため今では仕事がめっきりと少なくなり、継続するか悩み始め
ているという。
立ち上げたとして、継続できる状態になるまでは時間が相当かかってしまう。復興が完了するま
で継続できる企業が何社あるのだろうか?
不安な将来を見つめ頭を抱えて仕事をするのも、とても辛いことである。

2012年11月5日月曜日

日本女性会議仙台特別プログラムで南三陸ホテル観洋女将が語る

10月26日(金)から3日間、仙台国際センターで日本女性会議が開催された。
震災から1年半が経過し、これからのまちの復興には女性の参画が必要だと、被災地で支援にかかわった女性たちが全国に向けて被災直後、現状や課題を全国に向け発信した。
その中で、南三陸ホテル観洋女将 阿部憲子さんらパネラー5人とともに震災直後から支援活動の様子などを生々しく語った。
女将は、震災直後の宿泊客のこと、地元住民の二次避難所として懸命に支え合ったこと、そして復旧・復興に向けて皆さんの繋がりを大切にして行きたいことを発信した。
限られた時間の中で、はっきりとした口調で語られたことは、聴講者はもちろんのこと全国の皆さんにも届いたにちがいない。
南三陸ホテル観洋女将 阿部憲子さんの記事は、この【縁】創刊号で逸早く詳細に掲載している。是非ご購入していただきたい。

2012年11月4日日曜日

交番設置の署名活動

石巻市不動町から鹿妻地区までの一帯で、仮設交番設置の署名活動がされている。
以前は伊原津にあったが被災してしまい、ここの地区には1年7か月もない状況が続いている。
「今年中には設置してほしい」と住民の要望もあったが、いまだに設置されていない状況が続いている。
日中のパトロールだけではなく、夕方以降のパトロールも強化してほしいのが、地区住民の本音だ。
女川海道国道398号線を登下校する子どもたちも多いうえ、交通量も以前よりは増えている。しかも沿岸部では街灯が設置されていないところも多く、心配の種が消えない。
またある住民は、「夜になると誰もいないはずの隣家で物音がして心配で眠れないので夜もパトロールを強化してほしい」と言っている。
これからが復興に向かっていくうえで、「安心・安全なまち」への取り組みも同時に重視するべきである。

2012年11月1日木曜日

宮城県水産業拠点化以外の港は82港

宮城県は昨年暮れに、漁港再編について2013年度までに水産業集積拠点漁港として、気仙沼、志津川、石巻、女川、塩釜の5港の整備を上げている。他漁港より優先して整備をするとしていたが、あと何年かかるのかという深刻な状況である。
これには沿岸道路整備も進まず、地盤沈下したままの道路状況で資材の搬入が進まないことが上げられる。また資材の高騰により調達が難しくなってきているためである。
沿岸拠点漁港については55港ある。
こちらは養殖や加工場を集約し、流通・直販機能を備え6次産業化を目指した整備をするとしている。しかし一向に進まぬ被災企業への支援は、町の衰退化にもつながることだけに、国や自治体の一層の対策を講じる必要がある。
拠点以外の漁港は82港ある。こちらの整備は後回しになる。
漁業者は1tや2t足らずの船で沿岸に出て漁をする。小さな船に満杯にし遠くの漁港まで運ぶには、雨風の時期の危険性が高まり、心配が増す。自港においては、荷卸し作業も危険が高待ってしまう。
県の整備計画の中に、「復興予算が認められれば・・・」「国と協議をして・・・」「立地に困難なことから・・・」と記載されている。
誠に残念なことである。
このようにして、整備計画が遅れていくのだろう。何とも地元にとっては辛いことである。