2012年4月25日水曜日

雄勝町仮設住宅

県内には、406地区22,095戸におよぶ被災者が避難している。
雄勝町の仮設住宅場所は、雄勝、水浜、立浜、大須、峠崎、名振の6地区あるが、ここは雄勝地区の仮設住宅である。
石巻雄勝支所から車で約10分の森林公園内に建てられている。
奥まったところで、車やバイクでないといけない避難所である。
応急処置としての仮設住宅なので仕方ないと思うが、あまりにも町中心部から遠すぎ、雄勝支所内にある仮設店舗までの買い物が不便すぎである。
まだ一向に進まぬ高台移転についても、場所が決まらずのところも多い。
今後何年か住み続けていかなければならないが、今年は復興元年、まちの復興と活性化を願うばかりである。

2012年4月24日火曜日

雄勝硯工人-杉山唐龍斎-

杉山澄夫さんの作品展が、宮城県大崎市民ギャラリーで開催される。
震災以前の作品は津波で流失し、何一つ残らなかった。
600年も続く伝統の硯が消えかかっていた。
そこに雄勝町住民の伝統文化を残してほしいと後押しや、避難した大崎市の住民の支援も受け、昨年10月半ばからの製作が始まり、数十点ほどの作品が出来上がった。
この個展には私も是非行ってみたい。
実は杉山澄夫さんの自宅まで行き、あれこれと作品を見せていただき購入した経緯がある。
重厚で気品のある伝統の硯を今一度見てみたい。
場所は、大崎市民ギャラリー緒絶の館・蔵で、4月27日(金)から29日(日)までとなっている。

2012年4月23日月曜日

沿岸拠点漁港以外の地区

ここは雄勝町荒浜。
浜辺奥には荒々しい岩山がそびえ立ち、その海岸には岩のりやつぶ、がんじ(うに)がとれる豊富な漁場がある。
しかし今は鉄骨の残骸や魚網が散乱し、行く手を阻んでいる。
消波ブロックも磯の中ほどまで移動していて、元に戻すのも時間がかかりそうだ。
3.11により宮城沿岸部の光景は大きく変わり、砂浜も海岸も住居地も一変し、あの昔の光景が懐かしく思える。
元に戻せるのか、このままの姿なのか、まったく様変わりするのか、今や若い世代が中心となり復旧・復興に向けて取り組んだいる。
時間がかかるにせよ、安心な安全な町として、そして沿岸部の文化を取り戻していきたい。

2012年4月22日日曜日

石巻市湊河川敷

石巻市湊地区は、造船所、鉄鋼所、製氷工場、冷蔵冷凍工場、水産加工場、建設会社
などの中小企業が集まっている地区である。
津波でこの地区は跡形もなく、何もかもが流されてしまった。
工場を建設中の企業があるが一部の企業だけで、他企業は被災したままの建物が残っ
ており、全く見通しが立っていないのが現状だ。
かさ上げ工事もいつになるか未定の状況だ。
復興計画によれば、平成24年6月末日までには河川敷の復旧は、被災前の堤防の高さ
まで復旧するなど被災前の堤防機能を確保し、その後5年間にわたり整備を実施する
としている。
しかし河川補修工事とともに、被災住居の撤去を行なわなければ事は進まない。
まだかさ上げするエリア内には被災した企業の建物や住居が残っており、解体するだ
けでも時間がかかる。
復旧状況の割合も、一般市民にわかりやすく告知していただきたいと願う。

2012年4月17日火曜日

石巻市雄勝町荒浜海水浴場

雄勝町総合支所から車で20分走らせると、海一面エメラルドブルーに輝く海水浴場がある。
いつも夏になると、海水浴客が仙台や県外からキャンプしに一時を楽しむ。
防波堤に行けば、投げ釣りや磯釣りで満喫し、海の幸で食し、テントで夜を語らう。
今年の夏はどうなるのでろうか?
津波の影響で防波堤は決壊、砂浜も浸食され、その両端には養殖網やタイヤなどのがれきが残っている。
一昔と比べると、見えていた三角岩が見えなくなっている。この近くに潜ると小さな巻貝がたくさん取れたが、今は取れなくなったのだろうか?
これも地盤沈下の影響なのか?
お盆には地元の若者が、わらで作った舟に飾りを施し、供養のため砂浜から泳いで沖まで流す。
今はもう行っていないのだろうか?
もう前を向くだけなのか。その町を復興するのは視かえしも必要なのではないだろうか。

2012年4月16日月曜日

雄勝町仮設店舗

雄勝町総合支所前に「おがつ店こ屋街」が昨年11月にオープン、11店舗が入居し営業している。
何もかもが無くなった被災地住民の唯一のショッピングモールである。
4月21日(土)には、物品販売やマグロ解体ショー&キャンドルフェスティバルが開催される。
時間は昼の部10:00~15:00、夜の部は16:00~20:30までとなっている。雨天決行。
マグロ解体ショーは12:00~となっている。
豪快な解体を味わっていただきたい。
各仮設商店街も土・日曜日となると地元ならではのイベントが開催される。
GWに足を運ぶのも、町の活性化に繋がってくる。
皆さんで支援していこう!

2012年4月15日日曜日

いまだに残る大型船

石巻市湊地区に、今も大型船が打ち上げられた状態で残っている。
近くには石ノ森萬画館や、写真奥に見える日和山公園などがある。
沿岸部の整地が段階的に進み、ここはすでに更地となっているところだが、撤去されていない大型船やモーターボート、大きなコンクリート破片が散在している。
この沿岸部では、商業地として計画され整地されたところだが、地区により住居も立てられるような方向が示された。
当初の計画が住民の意向により方向転換されたことにより、1mかさ上げを行うことになる計画が、今後どのような形で影響を及ぼしてくるのだろうか。
実際に住居も建てられており、かさ上げはしていない。
地中に埋まる様々な新設配管工事などに影響が出なければよいのだが・・・。

2012年4月14日土曜日

雄勝町大浜海岸

雄勝町から名振に行く途中の海岸線の道路は、未だに堤防は破壊されたまま状態だ。
1mも沈下した道路脇には大きな土嚢が並べられ、海の浸水をかろうじて防いでいる。
名振や荒浜の漁港は県の沿岸拠点漁港から外れ、防波堤や臨港道路、岸壁などは必要最小限での復旧に留まってしまう。
この地区は、漁民の方々が海とともに生活をしいる。
小さな漁船でワカメを積んで遠い漁港まで運んだり、岸壁に着岸するのも危険度が増す。
このままの現状が続けば、小さな町は過疎化の町、廃墟の地となってしまう。
復旧・復興までの整備計画は10年計画で行うことになっているが、ここの整備計画はどうなっているのだろうか。
住民には一刻でも早く手を差し伸べていただきたい。

2012年4月13日金曜日

海友支援隊

石巻市にある、ほや・帆立の復興支援プロジェクトがある。
東日本大震災による津波の影響で三陸石巻のほや・帆立の養殖にかかわる全てが壊滅的な被害を受け、危機的な状況に陥った。
石巻のほやは全国生産の8割を占め宮城県の特産物でもある。
この危機に漁民が立ち上がり、個人のボランティアとともに長期支援の復興プロジェクトを立ち上げた。1口1万円の支援基金を募り、石巻水産物の生産を進めていく。
あのほやの触感がたまらない。見た目はグロテスクだが、海でその場で洗って食べるとまた何とも言えない味がある。
写真は「ほやおやじ」ストラップ。ネーミングといい、キャラクターといい購入者にプレゼントする。
お問い合わせ

2012年4月9日月曜日

宮城県の神社

東日本大震災において、宮城県内の神社931社で被害が発生している。
内陸部では参道や鳥居、灯篭などの落下や神殿そのものに被害があり、宮大工や灯篭職人の減少から復旧にはなお時間がかかりそうである。
一方沿岸部では神社自体が流失した地域もあり、再建は今もなお困難な状況にある。
各神社では鳥居が被害を受け再建するところもあるが、石鳥居が被害したところは時間的な問題や費用の問題などで木鳥居にするところも出始めている。
神社は地区住民からすると守り神である。
家内安全、交通安全、商売繁盛、心願成就、病気平癒、合格祈願、安産祈願などがあり、沿岸部では、海上安全、航海安全、大漁祈願などがある。
しかし今では、どこの神社も復興祈願で参拝する住民がほとんどである。

日和山から海を望む

名取市閖上地区に日和山がある。
人工的につくられた山で、高さは約6m、山というよりは高台に近い。
富士主姫神社があったが、跡形もなく流されてしまい、今では犠牲者を追悼する塔が建てられている。
ここ日和山から望む景色は、何もかもなくなり茶一色の光景だ。
震災前は建物が密集し、店舗も随分あったであろう。それらが跡形もなくなくなっている。
この地区も1~2mかさ上げが必要となるが、復興計画に基づき何年もかかってしまうのでろう。
仮設住宅で暮らす住民は今後まとまって移転できるのであろうか。
ご近所付き合いも相当様変わりするのであろう。
住民一体型居住環境の整備を早期に進めていただきたい。

2012年4月6日金曜日

行政支援-福岡第27陣-

東松島市役所災害対策本部に、福岡県職員からの早期復興の願いがこめられた千羽鶴やメッセージタオルなどが一面に飾られている。
震災直後から全国自治体やボランティアの支援活動が今も続き、復興のまちづくりに力を入れている。
災害に強く安全なまちづくりを行うには、地区住民との意見交換が最も重要である。
どの町も今後10年の全体計画を練り早期な着工を目指すというが、魅力あるまちづくりは住民なくしては始まらない。居住地域、コミュニティー地域、商業地域、観光など取り入れているが、それぞれのブロックで問題が発生すれば、棚上げ状況になることも考えられる。
解決する日数がかかってしまえば、当然計画も後退してしまう。そのことが怖い。
今後予算の縮小も考えられ、市の財政収入を増やすのは企業の誘致や地元事業者・個人事業者の復興、そして観光である。
しかしこの円高の経済情勢の中、企業の進出はどこまで見込めるのか、また地元事業者等にどこまで国や自治体からの助成金が入るのか、観光事業はどこに集客をあてているのか疑問が残る。
東松島市の4月6日現在の被害状況は、
人的被害が、死者1,056人、関連死54人、行方不明者62人。
住家被害は、全壊5,491棟、半壊5,551棟、一部損壊3,514棟である。

2012年4月5日木曜日

雄勝町硯

4年前、雄勝硯伝統産業会館に行った際、杉山澄夫さんに出会った。
製造工程を見学している際に声をかけられ、「ここで売っているものは良いものはねえよ」と、この話から盛り上がり意気投合して自宅まで行っての購入だった。
40~50㎝もある竜の硯から小さな硯まで何点も拝見したが、蓋に竹の飾りを施した硯に決めた。
4年前も3月の頃だったと思うが、こたつに入り漬物を食べながら世間話をしてのことだった。
奥様に作品の底に名前を掘っていただき、今では我が家の宝物だ。
町の復興とともに雄勝硯伝統産業会館が早く再開するのを皆が願っている。

2012年4月2日月曜日

心ひとつに-閖上さいかい市場-

名取市美田園地域に復興仮設店舗が開店し間もなく2か月になる。
土日ともなると近隣住民と店主との笑い声が響き、活気あふれている。
閖上地区は津波で壊滅的な被害を受け復旧・復興が遅れていたが、その中で立ち上がった店主の意気込みは強く、閖上第二の地域の活性化が着実に進んできている。
閖上というと赤貝が有名であり、東京有名店にも出荷されていたが、津波被害を受け出荷ができずにいた。
ここマルタ水産に行くと、真ガレイの閖上干や赤貝の塩漬けがある。
ここでしか買えないものとあって、閖上さいかい市場に出向く客足も増えている。