2012年9月24日月曜日

石巻北上川河川敷

緊急を要するのに、いまだに河川敷の堤防はコンクリートのパネルが設置されているままだ。
今年初めに設置されたが、本格的な作業は一向に見えてこない。
何がそこまで遅くしているのだろうか?
自治体の人手不足なのか、整備できる業者がいないのか、入札の問題なのか、復興予算はつい
ているが、これでは近隣住民は不安でどうしようもない。
沿岸部での整備事業の中に、公園整備や企業誘致など入っている地区もある。しかし人命を第
一に守るうえで、ハードの整備事業を早急に解決しなければならない。
またいつか想定外の津波が襲うかもしれない。1000年に一度とはいうが、想定外に備える事こ
そ国の責任が問われるのである。
東日本大震災は、想定外のことを着手しなかった国の責任の人災だったに違いない。

2012年9月23日日曜日

河川敷の船

30tもある巨大な漁船が津波の力で陸地に上げられた。
ここは石巻市湊町の一角である。
1年以上もこの状態で、雨や雪、風にさらされ、廃船となった。
跡地には燃料が漏れ、匂いが一角に染みついている。
今は更地となったが、いったいここには何があったのだろう?
水産加工会社?または一般住宅?今では記憶も定かではない。
人間の記憶は不思議なもので、今まで何年も通っていたいたのに、店が無くなったりすると、
ここは昔何があったのか?と思い出せないことがある。
特に大きな街はそのような傾向がある。
次から次へと新しいビルが建ち、昔のお店のことなども思い出せなくなる。
ここの地区は、周りの建物も取り壊され、かさ上げ整備をすることになっている。
様々な整備計画が進むにつれ、記憶がだんだんと薄れてくるのが辛くなる。
復旧・復興元年と言われているが、被災地沿岸部ではまだまだ遠い先のことである。
全国ニュースに取り上げられる割合が極端に減ったせいか、復旧したのかと錯覚すらしている
。未曾有の大災害から1年半が過ぎ、国民の記憶が薄らいできているのは確かである。
復旧・復興の整備計画は10年である。いやそれ以上の年月がかかるのは間違いない。
現実を見続けることは辛いことだが、このことはしかと受け止めていいかなければならない。

閑散とした市場内

ここは石巻市にある仮設市場。まったく活気がない。
以前は毎日のように、10t、20tクラスの底引き網漁船やトロール船などが着岸し水揚げをしたが、現状はこの通りに殺風景だ。
h22年度の漁獲量は11万tで県内ではトップであった。しかしh23年度はわずか1.7万トンの16%に過ぎない。
震災以降、仙台のスーパーでもほとんど三陸産の魚は見受けられない。
北海道産や新潟産、外国産のパッケージが目立っている。
風評被害の影響もあるが、圧倒的な影響は壊滅的被害を受けた漁船の数だ。
13,500隻もの数が、わずかに1,500隻ほどの漁船数に減り、操業が出来ない状況になったためである。
最近では、様々な支援団体により小型漁船が各漁港に寄贈され、漁師たちは近海での養殖や漁に出航しているが、まだ操業をしているところはまれである。
来年9月に漁業権の申請時期とも重なれば、仮設住宅で暮らしている漁師の漁業権はどうなるのであろうか?内陸に住んで漁師としてやっていけるのであろうか?
来年もまた心配の種が尽きない。

2012年9月21日金曜日

愛と絆

 玄昌石で掘られた「愛」と「絆」。
雄勝町の伝統雄勝硯職人 杉山澄夫先生の作品の一つである。
昨年はこの言葉をメディアを通じ、何度も聞いた事を思い出した。
全国の被災地への支援者から、またボランティア活動を通じて支援してくださった方々、自治体や企業からも聞こえていた。今は音沙汰なく静まり返っている。
甚大な被害をもたらしたこの震災で、全国民が一つにまとまり、復旧・復興に全力を挙げるといったのに、今は切ない言葉に聞こえてくる。
仙台市内と沿岸部との温度差もありすぎる。実際そこに居住していなければ分からない被災地住民の苦しみが、時間とともに脳裏から薄らえていく。
今何をすべきなのか、我に返って振り返ることも大切なことである。

2012年9月20日木曜日

被災自動車の処理

まだまだ進まぬ被災自動車の山がいたるところにある。一時期よりは少なくなっているが、まだ多くの自動車が散乱している。
広域処理により県外に搬出する場合や、県内外のリサイクル業者に処理をする場合がある。
自動車メーカー側での処分はどうなのであろうか?見ない部分がある。リサイクル法に基づき処理しなければならないとあるが、この想定外の震災で処理は一向に進んでないと言える。
リサイクル業者は、各市町村からの入札を受け、一番高値を付けた業者に依頼する。
自動車リサイクル法による処理となるが、県内外のどこの場所で処理されているかさえ見えない部分がある。入札結果を見てくださいと言われればそれまでだが、メディアでも大きくは取り上げてはいない。
リサイクル業者はパーツごとに取り外し、それらを中古パーツとして販売する。また自動車整備業者や、海外のバイヤーに提供したりする。
本体の解体処理は鉄・非鉄部分や廃車ガラに分別し、今度は破砕業者に引き渡される。そこから、日本での加工や海外での加工と工程が入ってくる。
これは何処で処理されているかさえ、もはやお手上げである。
一般ごみなどのがれき処理については、県内外や広域処理などをし、放射能が検出され問題でなかったことを公表しているが、被災リサイクルについても、最終処分までの公表をすべきである。

第2回笑顔のチカラ。みんなで東北応援

9月15、16、17日の3日間、東京有明にある、パナソニック㈱ パナソニックセンター東京にて、「第2回笑顔のチカラ。みんなで東北応援」が開催されました。
そこで【縁】の創刊号から第3号、そして「生き抜くための災害料理43」を販売していただきました。
伊達武将隊も駆けつけ、応援して頂きました。
ありがとうございました。
この日は、お父さんお母さん子供たちと、こけしの絵付け体験などで盛り上がったそうです。
被災地の力、東北の力を日本全国にお届けしましょう!

2012年9月19日水曜日

人っ子一人いない海水浴場

素晴らしい光景だ!
雲一つない真青な空に、エメラルドブルーの海。
一昨年までは家族連れでにぎわっていた海水浴場だ。
手前には無数のテントが張られ、子どもたちや大人たちの声が地区全域に響き渡るぐらい盛り
上がっていたところだ。
遥か彼方の洋上から海面が盛り上がり、手前の岩を遥か高く15mもの津波が押し寄せた。想像も絶する光景だったに違いない。
砂浜は家屋や納屋の残骸で敷きつまり、足の踏み場もなかったという。
幸い亡くなった方はいなかったというが、声にすら出なかったことであろう。
元通りの光景は何時になることだろうか?来年になるのか?私たちの時代には来るのであろう
か?果たしてこの光景のままなのだろうか?

2012年9月18日火曜日

天草市からの支援活動

今回第3号で熊本県のNPO法人九州救助犬協会を取材したが、第2号で東松島市を取材したとき復興対策室に掲げられていた天草市のことを思い出した。
市章には逸早く支援活動した市職員や一般の方の応援メッセージがびっしりと書き込まれ、みなさんの思いが込められている。
がんばれ東北・がんばれ日本。全国民が一体となり、復旧・復興に向けての絆の第一歩だ。
あれから1年半が経過し、その後はどうなのであろうか?
被災地では整備計画が策定されそれに向かって進んでいるが、様々な問題で一向に進まぬ現状が続いている。
数多くの課題を一気に解決することは難しいとはいえ、一つ一つ前進しつつあるように見える。
もう一度このメッセージを想いだし、継続的な支援に取り組んでいこう!

2012年9月17日月曜日

消波ブロック

河川敷や海岸線沿いに、このようなテトラポットが沈められている。
波消しブロックや、商標登録されているテトラポットど呼ばれていることもある。
大きさは2m~3mあり、防波堤と一緒に設置している割合が多い。
ここのブロックには小さな瓦礫がたくさん埋まり、海面との境目がまったく分からなくなってい
る。
つい最近までは、大きながれきが溜まっていたが、福幸建創 藤吉裕二氏ひきいるボランティアの力で大方取り除かれた。
沿岸部を走ると、このような光景が至る所に散在している。海にはどれだけのがれきが埋まっているのだろうか?想像すら出来ない。
日本国土の沿岸はすべて海で覆われている。恵まれた海の産物に私たちはどれだけ助けられてきたのだろうか?少しずつでも回復を願っている。

2012年9月16日日曜日

沿岸部の光景

震災から1年半。沿岸部地域では、まだ解体が行われていない地区も多く残っている。
写真奥に見える工場らしき建屋、右手には一般住宅も取り残されている。
聞くところでは、解体も順番待ちのようである。地元業者、県外業者が入り乱れての作業となっている。
地盤が沈下し、かさ上げ工事も一向に進まぬ現状では、まだ明かりが見えてこない。
この地区では約1mのかさ上げ工事をすることになっているが、解体作業が進まぬ現状では大幅に時間がかかりそうである。
左手にはすでに6mの高さの堤防が気付きあげられているが、今回の震災ではこのはるか上を津波が押し寄せた。しかし、今回計画されている堤防の高さは7mであるが、果たして妥当なのか疑問が残る。
また近くの県道女川線の道路も約1m高くする計画がある。地区住民には計画は聞かされているが、着工時期が不明である。
住民説明会は年末から7月にようやく再開されたが、また地区に寄り途絶えている。説明不十分のままで、また年末が近づこうとしている。

2012年9月15日土曜日

渡波長浜町防波堤付近

港湾整備が進む中、防波堤付近には震災した船のがれきが未だに残っている。
2t、3tクラスの船の山や、桟橋などが山積みされ、まだまだ先が見えぬ現状が続いている。
渡波港は、よく釣り客が朝早くから訪れ、投げ釣りや釣り船で沖合に出掛け、大物釣りをするスポットとして有名である。
アイナメやイシガレイ、マコガレイなどが釣れていたが、震災以降の話は全く聞こえてこない。
海底岩盤が下がり環境も変化したようで、以前のような魚は入なくなったと話す町民も多い。
震災以降、地上でも海底でも生物は生きていくのが必死だ。この環境下で、生命は後世に受け継がれていくのだろうか?

2012年9月14日金曜日

復興へ祈りを

石巻湯殿山神社に参拝してきた。
ここは出羽三山湯殿山神社の分霊社である。漁業の町、石巻地域の漁の安全と豊漁の神社として知られ、境内には恵比寿様が祀られている。
震災当日は津波の影響で会館は半壊したが、社殿の被害が軽微で済んだのは幸いである。
何度か参拝しているが、社殿両脇に今までなかったのぼりが設置してあった。
宮司さんに聞くと、明治天皇が詠まれた和歌だという。御製(ぎょせい)とは天皇が呼んだ和歌のことである。
明治天皇御製
千早ぶる 神のひらきし道をまた 開くはひとのちからなり
人は試行錯誤しながらも誰かが通ってきた道を、自分自身で考え、選び、悩み、進んでいく必要があり、その結果そこから道は開けるのだ。
というのだ。
日本全国から様々な支援が今でも被災地に送られている。これは本当に大変ありがたいことである。この支援は、私たちそれぞれに役目があり、国や自治体、企業や市民の協力なしでは前進はあり得ない。
負けねえぞ!頑張っぺ!

2012年9月13日木曜日

何処からか流れ着いた干支

石で彫刻された干支が松厳寺境内に置かれている。
持ち主不明、作者も不明である。延々と流されやっとのことで辿り着いたここが、安住の場がだったのかもしれない。
よく見ると7体しかない。他はきっと引き波で、海の底に沈んだに違いない。
神社などでよく見かける干支だが、意外に小さく1体30㎝位の大きさである。
近くには熱田神社があるが、ここから流されてきたのだろうか? ここも津波で跡形も無くなってしまい、誰一人として分からないままである。
今ある7体は太陽の光をたくさん浴び、被災地住民に勇気と明るさを祈っているだろう。また今は無き5体は、海の底でまだ見つからぬ行方不明者を案じ永遠に弔っていることだろう。

ヤマユ佐勇水産

石巻市明神町に自力で再開したヤマユ佐勇水産がある。
魚を味噌漬けや粕漬けに加工して販売する工場でわずか5人で操業している。
ここは石巻漁港からすぐ近くでわずかに200mと離れていないところで、工場は全壊した。
しかし高校生や一般の方々のボランティアの力を借り、昨年末にようやく再建した。
ちょうど昨日は震災から1年半の11日であり、福岡大学からの学生ボランティアらで賑わっていた。
水産加工は卸ルートが開拓されなければ販路は難しい。特に小さな会社は販路開拓には血の滲むような活動をしていかないとスーパーなどへの卸は難しいといえる。
ネットショップがあれば一般客にも購入者は増えるだろうが、ここでは行っていない。する暇などない状況であるという。
地元石巻市以外にも、支援活動していただいたボランティアの方々にも好評で、日本全国から依頼がある。
是非、問い合わせしていただきお買い求め頂きたい。
(有)ヤマユ佐勇水産
〒986-0027
宮城県石巻市明神町1-5-36
電話:0225-93-5575
 FAX:0225-93-5877