2013年4月11日木曜日

災害時一時避難場所

 石巻市吉野町で県営石巻吉野住宅脇に掲げられている避難の看板。
 石巻女川海道(国道398号線)を走ると左側(山沿い)にある。
 この辺りを歩くと、他避難看板は見られないが、当然ながら住民には避難場所は周知されている。
 石巻女川海道より山沿いエリアには逃げ込む場所や高台はあるが、道路より北上川沿いや海沿いにはあまりない。
 昨年暮れに魚町の大興水産が避難所指定(最大1000人収容)の認可を受けたが、魚町エリアの方々が避難するところで、住民は「ほたる会館」くらいである。
 湊にある「みなと荘」も一時避難場所としてあるが、本年取り壊し移転することが決まっている。
 昨年暮れに起きた津波警報で避難できた人数は、わずかである。残り10分でどれだけの住民が避難できたのであろうか。時間がない状況での避難は、地区住民にとっても不安である。
 いつ起きるともしれない地震や災害に、即対処できるよう公設避難場所の着工を強く望む。

2013年4月10日水曜日

瑞巌寺

 国宝 瑞巌寺。誰でもが知る日本三景の一つ、松島にある「伊達正宗公」ゆかりの場所である。
 平成21年から始まった本堂の大修理が今なお続いているが、改修現場を見ることが出来るとあって、それは迫力満点である。
 以前は明治・昭和と一部改修があったが、今回のような大規模な改修は今までにはなく、想像以上に歴史を垣間見ることが出来る。
 本堂は4階まで特設階段を上るが、要所にはパネルが設置しており、解体作業の詳しい解説が記されてある。また庫裡には、本来本堂に安置している御本尊、藩祖正宗公や2代忠宗公の大位牌、三大開山木像が大書院にて特別に公開されている。
 公になったのは初めての事とあって、この文化的な歴史は必見である。
 庫裡案内係によると、文化庁から3月に写真撮影の許可が下り、一般の方でも撮影できるようになったという。
 是非この機会を見過ごすことのないようデスティネーション・キャンペーン期間に足を運んでいただきたい。
 本紙【縁】第4号に掲載。

瑞巌寺
http://www.zuiganji.or.jp/index.html
 

2013年4月9日火曜日

雄勝町大浜漁港

 漁港一帯ががれきで散乱していたが、ここまで撤去され整備された。しかし1mも地盤沈下した状況は変わらず、盛り土をしての応急処置で再開している現状である。
 ここでは数名の漁師が再開したが、まだ震災前にも満たない状況が続いている。鮭や牡蠣、帆立、わかめなどの養殖や、近海に出ての漁で生計をしているが、遠方にある仮設住宅から現場まで通うのは何よりも辛いものがある。
 漁が出来ることが、そのまま漁業の再建や生活の再建まで出来ているかというと決してそうではない。県や市からの助成金を受けても、道具一式でお金は消えてしまう。更に借金が増えてしまう現状で、何よりも生活が持たない。
 水産加工会社の再開は、確かに増えつつある。しかし継続できる加工会社はどれだけあるのだろうか?
 しきりに東京の会社とタッグを組み、動いているところもあるが、小企業のところは目も当ててくれない。
 ブランド化というが、横一線の並びで特化したものもなく、どうしても「資金難、廃業」と頭をよぎってしまう。
 これからも長く続く復旧・復興。
 風化させず、情報を発信続けていきたい。


2013年4月8日月曜日

解体作業を待つ住宅

 昨年末までに行政が震災の影響で半壊もしくは全壊住戸の解体を申請させた。この番号が、解体許可が下りた住宅である。
 年度末までには解体終了予定であったが、まだ沿岸部では許可番号が下りていない地区もあり、今年度まで長引きそうな感じがする。
 復旧・復興にあたり、行政はごてごてしており、住民感情が穏やかではない。
 この家の持ち主も、3月には解体できると言っていたが、5月までかかりそうと連絡がかかってきた。この辺りではアスベスト問題があり、業者の指名競争入札にも相当影響が出てきている。その上、家屋に人が住んでいないことから、ネズミの発生が著しく、衛生管理面での問題が生じてきている。
 行政は人員不足があり、入札の不調といったところまで影響し思うように着手できていないとしているが、住民側は待ってはくれない。
 より復旧・復興の度合いを上げなければ、計画で終わっ
てしまう恐れがある。
 国の整備計画は10年だ。丸2年が過ぎ残りはあと8年。
 是非計画を守っていただきたい。

2013年4月7日日曜日

石巻市の入札結果を見る

 入札の不調や中止があり、復旧・復興関連が進んでいないとういうことから、石巻市の入札結果の公示をダウンロードし、検証してみた。
 H23年度の入札金額は、 3,906百万円。件数は、234件、中止・不調が 50件、割合が21.37%。
 H24年度の入札金額は、 23,582百万円。件数は、504件、中止・不調が198件、割合が39.29%。
であった。
 H23年度は、道路・橋梁関連と調査・測量業務関連が先行し着工した。漁港関連は震災年ということもあり、動きが大分鈍かった。その調査・測量業務関連が進行し、H24年度は各関連業務の着工が一気に動いたと推測する。
 昨年度と比べ、調査・測量業務関連も多く、H25年度・H26年度と着工件数が増えるとともに、住民への不安が解消するものと思われる。ただし、入札結果の不調の割合が増えてているだけに、早期着工・早期引き渡しが可能なのか疑問視するところがある。
 安心・安全なまちづくりを早く進めるためにも、行政は規制の緩和策を第二弾、第三弾と打ち出してほしい限りである。
そ して住民の不安を解消し、普通の生活が出来るよう望みたい。

2013年4月6日土曜日

石巻市の災害公営住宅

 元日赤病院跡地に建てられる整備された災害公営住宅地である。広大な敷地に158戸の共同住宅が作られるが、着工予定が2013年10月、完了予定が2015年3月である。
 石巻市は4000戸の整備計画を打ち出している。
 蛇田地区は700戸から850戸、中心地区は510戸から760戸と旧整備計画よりも大幅に戸数を増やしている。では他の地区はどうなのかと思い調べてみた。そうすると牡鹿地区は550戸から240戸、雄勝地区は250戸から160戸と極端に減少している。
 アンケート調査を受けての結果のようだが、どうしても津波が来なかった地区や買い物などに便利な地区に移り住みたいという住民の意向があるようだ。
 震災から丸2年が過ぎ、最終的に災害公営住宅の完了が2018年までかかってしまう。それまで当然仮設住宅などに入居し続けなければならないのは、大変つらいことである。
 蛇田はベットタウンとして、石巻バイパスが完了してから栄えてきたところであるが、更にニュータウンとして再開発もされてくるだろう。
 一方中心地区や半島地区は、震災の影響や郊外へのニュータウンの影響で更に人口が流失してしまう恐れがある。
 萬画館で街おこしするのも継続が難しく、他の対策もいまだにない状況だ。
 この時だからこそ次の一手二手が必要になってくる。あらゆる方面に目を向け、耳を傾け、行政と住民のコラボで街の活性化を進めて行く必要がある。

2013年4月4日木曜日

湊水産

 「愛情たらこのみなと」で知られる湊水産。
 石巻市吉野町でいち早く再開した企業だ。
 震災当時は、焼きたらこを避難所や自宅2階に避難しているところを回り、ありったけの具材を差し入れた。
 住民は「ありがとうございます」と何度も感謝の言葉を口にしたという。その気持ちが社員一同を再開までこぎ着けた賜物でなかったのではなかろうか。
 夕方になるとご近所の方が立ち寄り購入する光景をみると、何とも懐かしい限りである。
 今ではスーパーが町の起点となり、夜遅くまで開店し、何でもそろっている便利なところとしてあるが、決してそうではない。愛情がたっぷりと入っているこころの贈り物には絶対に太刀打ちできないものがあるのだ。
 日本全国で支援しようとして立ち上がった「絆」のプロジェクト。
 絶対に風化させず、継続して被災地を支援していただきたい。またその繋がりを大切に支援の輪を広げていただきたい。

湊水産
http://www.rakuten.ne.jp/gold/minato-s/

2013年4月3日水曜日

ヤマユ佐勇水産

 日和大橋を下り女川方面に行くと、橋を越えて300m左手にヤマユ佐勇水産の新社屋がある。
 車を走るたび目にする看板だが、佐賀県の書道家で吉田真紀さんが一筆した文字看板である。正面には「いまからここから」が、行く手には「心ひとつに」、帰りには「ありがとう」が書かれているのが見える。
 見知らぬドライバーからも「いいね!」という言葉が返ってくるそうだ。
 家族2人と、中国人社員3人できりもみしていて、実に忙しい毎日だ。
 「いろんな方から励ましの電話や手紙が来て、それがほんとうれしいし、それが励みで頑張らなくちゃねと思います」と奥様が語っている。
 社長は仕入れた魚を手際よくさばき、後工程にまわす。秘伝のみりん漬けや糠漬けがあり、ここでの一番は、銀タラのみりん漬けとほっけのみりん漬けである。
 特に銀タラのみりん漬けは、程良い味付けで何やらチーズの味らしきするが、社長は秘伝とあって、絶対に口にしない。企業秘密なのだ。
 ヤマユ佐勇水産は3月から新社屋で営業としていたが、自宅兼工場でまだ作業している状況だ。
 その原因は、市が発注している家屋等解体の入札が遅れ、5月まで待ってほしいとの打診が来たのだ。しかも市は解体業者の作業を1ヶ月とみなしているため、相当な時間も要している。これでは全然前には進まない状況がわかるであろう。
 しかも解体は順番待ちで、時期も大よそでしかわからない。5月には新社屋で再開できるか、まだ定かではない。
 
ヤマユ佐勇水産
http://www.enishi-miyagi.com/fukko-shop/yamayu/

2013年4月2日火曜日

湊小学校へ避難

 昨年12月7日金曜日夕方に起きた三陸沖の地震で津波警報が発令された。鮎川では1mの潮位を観測したが、幸いにして被害は伴わなかった。
 石巻市北上川河口付近には、「あと10分で津波が来るぞ!」と警報やアナウンスが流れ、沿岸住民は一目散に避難した。
 たった10分で何処に逃げるのかといえば、近くの避難上の屋上とか高台に避難することだが、生憎高台に行く道路は渋滞した。
 その原因は、減災のための道路が全く整備されていない状況や、新車を購入し津波が来てダメになれば3重のローンが発生するという事、時間が全くなかった事もあり、道路が渋滞し避難できない状況にあった。
 また避難所に逃げ込む手があったが、石巻女川海道より沿岸部では避難所指定場所がなく、逃げ込み場所としたら、3.11の際の当時の避難所だった。
 しかし避難場所指定の小学校は、1階全てが入ることが出来ずの状況だった。湊小学校の場合は、写真を見ての通り1階窓の部分は木材で遮断され、非常口も鍵が掛けられている状況で、一切建物内には入ることが出来ない。
 万が一に備えて近隣数名に鍵を渡していたというが、皆外出中で全く機能していなかった。当時は何人もの住民が駆け込んだが、鍵が閉まっていて断念し、裏山に逃げ込んだという状況
だ。
 湊小は湊第二小を統合し平成26年4月から授業を再開するとしているが、昨年は平成25年4月か
らとしていた。しかし授業再開までの期間に何が起きるか分からない。また同じように避難しなければならないことが起きた際、何処に避難するのだろうか。
 100年に1度だから?1000年に1度だから?ということはもう論外である。
 命を守ることが第一である。

2013年4月1日月曜日

雄勝町石神社

 先日、実家の地名の由来を聞きに行こうと、葉山神社 石神社(いそのじんじゃ)の千葉宮司さんに会ってきた。
雄勝町の地名は、名振、大須、大浜、尾浦などあるが、よくよく聞いてみると、こういういわれでその名がついたのかと驚く次第である。
石神社は、山岳修験者の霊場として石峰山山頂に鎮め奉られている。社伝によれば、およそ1800年前(神功皇后の時代)の創祀とされ御祭神は交通の安全を守る海の女神である宗像三女神の端津姫命(たぎつひめのみこと)を祀り、海上交通の発展により金華山と共に南三陸の漁場を守護し漁師らに信仰されてきた。参拝道には数々の伝説の地が今なお残され、文献が一時津波で流失したが大事には至らず、東北大学で調査・研究されている。
 帰り道、境内高台の木々が生い茂るところから大浜湾を望んだが、そこの土手には少し遅咲きのふきのとうが生い茂っていた。
 浜付近は、風当たりがよくこの時期は仙台との気温差は5度くらいある。桜も10日くらいは遅く咲くだろう。
 この時期は多種多様な植物が芽をだし、成長し、花になり、実になり、子孫を残していく。
 人間もこれを期に、記録を残し、風化せず、後世に残せるよう、皆が力を合わせていかなければならないことを改めて知る。