2012年9月14日金曜日

復興へ祈りを

石巻湯殿山神社に参拝してきた。
ここは出羽三山湯殿山神社の分霊社である。漁業の町、石巻地域の漁の安全と豊漁の神社として知られ、境内には恵比寿様が祀られている。
震災当日は津波の影響で会館は半壊したが、社殿の被害が軽微で済んだのは幸いである。
何度か参拝しているが、社殿両脇に今までなかったのぼりが設置してあった。
宮司さんに聞くと、明治天皇が詠まれた和歌だという。御製(ぎょせい)とは天皇が呼んだ和歌のことである。
明治天皇御製
千早ぶる 神のひらきし道をまた 開くはひとのちからなり
人は試行錯誤しながらも誰かが通ってきた道を、自分自身で考え、選び、悩み、進んでいく必要があり、その結果そこから道は開けるのだ。
というのだ。
日本全国から様々な支援が今でも被災地に送られている。これは本当に大変ありがたいことである。この支援は、私たちそれぞれに役目があり、国や自治体、企業や市民の協力なしでは前進はあり得ない。
負けねえぞ!頑張っぺ!

2012年9月13日木曜日

何処からか流れ着いた干支

石で彫刻された干支が松厳寺境内に置かれている。
持ち主不明、作者も不明である。延々と流されやっとのことで辿り着いたここが、安住の場がだったのかもしれない。
よく見ると7体しかない。他はきっと引き波で、海の底に沈んだに違いない。
神社などでよく見かける干支だが、意外に小さく1体30㎝位の大きさである。
近くには熱田神社があるが、ここから流されてきたのだろうか? ここも津波で跡形も無くなってしまい、誰一人として分からないままである。
今ある7体は太陽の光をたくさん浴び、被災地住民に勇気と明るさを祈っているだろう。また今は無き5体は、海の底でまだ見つからぬ行方不明者を案じ永遠に弔っていることだろう。

ヤマユ佐勇水産

石巻市明神町に自力で再開したヤマユ佐勇水産がある。
魚を味噌漬けや粕漬けに加工して販売する工場でわずか5人で操業している。
ここは石巻漁港からすぐ近くでわずかに200mと離れていないところで、工場は全壊した。
しかし高校生や一般の方々のボランティアの力を借り、昨年末にようやく再建した。
ちょうど昨日は震災から1年半の11日であり、福岡大学からの学生ボランティアらで賑わっていた。
水産加工は卸ルートが開拓されなければ販路は難しい。特に小さな会社は販路開拓には血の滲むような活動をしていかないとスーパーなどへの卸は難しいといえる。
ネットショップがあれば一般客にも購入者は増えるだろうが、ここでは行っていない。する暇などない状況であるという。
地元石巻市以外にも、支援活動していただいたボランティアの方々にも好評で、日本全国から依頼がある。
是非、問い合わせしていただきお買い求め頂きたい。
(有)ヤマユ佐勇水産
〒986-0027
宮城県石巻市明神町1-5-36
電話:0225-93-5575
 FAX:0225-93-5877

2012年7月2日月曜日

河川敷復旧工事

河川敷の復旧工事の着工が大幅に遅れている。
国、県、市の管轄があり、連携して復旧工事を進めるにも入札があり、そこには積算基準となる試算がある。それを熟すだけの人員の不足があり、工期の完了は計画通り行くのか懸念される。
それぞれの管轄での整備計画はあるが、いずれも国が基準として整備計画を立てた上のもので、甚大な被害状況からみれば、地域により状況は明らかであり、復旧作業も進まないのが実態である。
道路整備、沿岸部整備、護岸整備、河川敷整備と段階ごとに入札がある。
しかもブロック分けとなると相当数の地域があり、何処まで業者が担うのかも疑問がある。
また地区住民との説明会などは、話しがかみ合わないケースが少なくない。かさ上げ工事も1mから70㎝へ引き下げる、この地区は防波堤を高くするからかさ上げしないなど、行政の対応もまちまちである。
整備計画は住民が主体となるのか、行政が主体となって進めていくのか、それにより将来のまちづくりが大きく一変する。
故郷がなくなってしまっては、帰るところがなくなってしまう。
子どもたちのための、将来のためのまちづくりを進めてほしいと願う。

2012年6月11日月曜日

縁側で「こんにちわ」プロジェクト

愛島地区で昨年12月から支援活動を行っている東北大学大学院文学研究科 名嶋先生にお伺いした。
先生は個人的には8月から支援活動を行っていたが、12月から学生スタッフ数名と本格的に活動をしてきた。
「何もできない私たちですが、お茶を飲みながら会話をすることによって、言葉と言葉のコミュニケーションが生まれます。そこから被災者の輪が出来上がりますし、目には見えない形ですけれど、これからも支援していきます」
と語ってくれた。
がれき撤去など目に見える形ではないが、心と心が通じ合うことも支援の一つであり、被災者を心強く守ってあげられる。
愛島地区は閖上地区の一部が居住しており、生活環境も一変している。
イベントで、お花教室やヨガ、演奏会など市民団体と協力して支援も行っている。
まだまだ険しく長く続く復旧・復興に、心がかよう支援を継続して届けていただけるよう、私たちも支援していきたい。

2012年6月6日水曜日

石巻市のがれきの量

先立て宮城県の市町別がれき量の見直しが発表された。
当初は全体で1,107万tだったのに対して、431万t少ない676万tになった。
その内、石巻市は273万t少ない308万tである。
当初沿岸部の被災した家屋はすべて解体し、かさ上げをすることに決まっていたが、地区により修復して住めることになった。そのため相当数の減少につながったわけである。
しかし、これだけのがれきの量があちらこちらに散在し、焼却してもその焼却灰の処理にも問題があるので、たやすくは安心できない。
しかも家屋の現地再建が地区によりバラバラなので、かさ上げも一向に進まず、復興整備計画の見直しも余儀なくされる。
今後は、いかにして早期な処理と再建を住民とどのように進めていくのか?集落全体が消滅してしまうケースも考えられるので、定期的な住民説明会で具体的な方向性を示していただきたい。

石巻市川口町から市立病院を望む

まだ所狭しと木材や船の残骸が横たわっている川口町の河川敷きから、遠方の石巻市立病院を眺めてみた。
3.11で津波の被害を受け診療はしていなかったが、5月30日に仮設住宅がある開成町に仮診療所として開所した。
また今後の新私立病院の建設場所は、石巻市駅駐車場敷地に決定している。
2013年度着工、2015年度完成の予定であるが、もっと早く着工できないのかという疑問が残る。
震災年には候補地は何ヶ所かあった。
その中で御所入山付近には測量しにき、広さも十分だったという。しかし結局はずるずると時間がかかってしまい、2012年新たに地質調査から始まったわけである。
地質調査から基本設計までは約1年間かかる。そしてその後の着工で約3年間、計4年間もかかってしまうことになる。
市は4年間も待っていられるものなのか?ということを住民の目線で物事を捉えていただきたい。
いま住民にとって必要なものは何か?何を求めているのか?石巻市はどうなっているのか?
住民には色濃く不安が残っている。少しでも心が和らぐことを望む。